私が二十代の初めの頃の話です。
用事があって京都へ行きました。
午後になって時間が空いたので、1人で東山の清水寺へ行ってみました。
参道は、名物の八つ橋などを売っている土産物店が、賑やかに並んでいます。さて、その人通りの多い参道から一本外れた静かな通りに、工芸品や陶器を扱っている店が、ぽつりぽつりとありました。
京都と言えば清水焼が有名。華やかな絵付けの焼き物ですね。
そんな清水焼を扱っている店を見つけましたが、なにしろ、若い私には敷居が高いのです。入り口のガラス窓に飾られている茶器はどれも数万円の値段が、、、
とても手が出ません。
少し行ったところで、庶民的な店構えの陶磁器屋さんを発見。店の前の台に、ぐい飲みや湯のみが、無造作に並べられています。
まあ、手頃な値段なら買ってもいいなあ、と思って、一つのぐい飲みを手にしてみます。ひっくり返すと、後ろに手書きのシールが張ってあります。なになに「1500円」。これぐらいなら買えそうだ、そう思って、その台に並べられているぐい飲みを選び始めました。
値段はものによって千円から三千円ぐらいのもの。ちょっといいなあ、と思うものには、やっぱり、高い値段が付けられています。
ふと、形の変わったぐい飲みに目が止まりました。白磁に青い絵付けがされています。持ってみるととても軽い。磁器のため、薄い生地で出来ているのです。小さめだけれど、何となく品が感じられるのです。裏を返すと、貼ってあるシールに800円と書かれている。
おお、これは安いぞ。
でも待てよ、安いということは、どこかに欠けやヒビがあるのではないか、とよく見ますが、大丈夫そうです。よしこれを京都のお土産にしよう、値段も安いことだし。そんなケチな打算で、そのぐい飲みを、奥に居た陰気な主人の前に差し出しました。
主人は慣れた手つきでそのぐい飲みを包み、私に言います。
「八千円です。」
私は焦りました。
心の中で、「ええっ!、800円ではなかったの!」と叫びました。
でも、机に置かれた、そのぐい飲みからはがされたシールには、確かに8000と記されていたのです。
安いと言う先入観を持っていた私は、ゼロを一つ見落としていたのでした。
包んでしまったぐい飲みに、今更、勘違いでしたとは言えませんでした。
出来るだけ平静を装いながら、まだ、聖徳太子の絵柄だった、なけなしの一万円札を出して、その包みを受け取りました。その帰り道は、後悔の念でいっぱいでした。私にとって、八千円は大きな金額でした。
それを、こんな間違いで使ってしまうなんて。
自分の注意が足りなかったことを悔やみました。そして、ひょっとして、もっと金額の少ないぐい飲みの中に、わざと、これを置いて間違えさせた、陶器屋の親父の策略ではないかと、勘ぐったりしたのです。
さて、話は変わります。
やはり、二十代の初めの頃、青森は弘前の津軽塗の直売所で、箸を一膳買いました。「津軽塗は津軽の馬鹿塗りと言ってな、何度も丁寧に塗るので、いつまでたっても剥げたりしない。だから、この箸も、大事に使えば、一生使えるよ。」
そう直売所のおじさんに勧められて、つい、買ってしまったのです。金額は覚えていませんが、私にとって、かなり大きな額だったことは覚えています。
一生使えるなんて、大げさだよなと思っていた、この津軽塗の箸は、今でも使っています。箱はどこかになくなってしまったけれど、我が家の箸立てに無造作に刺さっています。
そして、清水のぐい飲みも使っています。
よく見ると、内側にも彩色されていて、手の込んだものなのですね。よく焼き締められているので、普通に扱えば、割れることもありませんでした。今から考えれば、妥当な値段だったのかも知れません。
値段や流行や、そのとき限りの必要で買ったものは、すぐに色あせてしまうけれど、本当にいいものは、一生付き合うことが出来るのですね。
清水のぐい飲みは、些細な勘違いが縁でしたが。私も、お客様に一生付き合っていただけるそば屋を、作っていきたいものです。
かんだた店主 中村和三