毎年、Sさんの奥様から年賀状をいただいています。
そのハガキによれば、あのSさんが亡くなってから、今年で二十年になるのだそうです。もう、そんなに時間が経ってしまったのかと、驚くばかりです。
Sさんとは東京にいた若い頃、あるアルバイト先で知り合いました。
私より二つほどの年上でしたが、穏やかな性格の方でした。Sさんも山登りをされるということでウマが合い、一緒に丹沢や群馬の山に登ったりしました。
その後、私は長野に移り住みましたが、東京に行った時には、よく会っていました。
やがて、Sさんはすてきな女性と出会い、小さな店を借り切ってささやかな結婚式。そして、多摩地区の郊外のアパートに住んでおられました。
しばらくぶりに会うと、少しふっくらとしたご様子。すっかり幸せな結婚生活を送られているみたいです。と思っていたら、結婚式から一年ほどたった頃、入院をして手術をしたと連絡がありました。
心配をして、入院している大学病院に行くと、顔に包帯を当てているけれど、元気なご様子。鼻の横に膨らみができて、それを取り除く手術をされたといいます。
つまり、顔にガンが出来ていたのですね。その後、会うと、せっかくふっくらとした体つきが元に戻り、顔が少し変わっていました。
なあに、前より男前が上がったといわれているよ、とその時は冗談を言っていたSさんです。再発を恐れていたのですが、一年も経たないうちに顔の他の場所でガンが見つかり、今度は放射線による治療を受けました。
そして、その後、再び切除手術。ガンが出来ると、切除したり放射線を当てるという、今のままの治療を続けていても、まるで、モグラたたきのゲームのようなもの。ガンが現われたら取り除くだけ。そうではなく、ガンそのものが出ないような治療をしなければ。
そう考えたSさんは、病院を替え、体質の改善に努めることにしました。
当時は、まだ、種類の少なかった抗がん剤を試したり、ビタミン剤を飲んだりしました。
特に食事は、無農薬の野菜や魚、そして玄米を食べるようにしたそうです。出来るだけ添加物のない、身体に刺激を与えないような食事を心がけたのですね。
そういう食材を集めなければならなかった奥様も、大変なご苦労をされたと思います。
そうやって、ガンと戦っていたSさんでしたが、ついに、出来てはいけないところにガンができてしまったのです。
発症から七年、四十歳を過ぎたばかりのSさんは、あの世へと旅立ってしまいました。その頃は、私も仕事が忙しくなり、なかなか見舞いにいけなかったことが、心に残ります。
Sさんと最後に会ったのは、あるターミナル駅の近くの、そこだけは静かな雰囲気の寿司屋でした。寿司ならば、体質改善をしている最中のSさんでも食べられるというのです。
仕事の合間の昼の時間なので、酒を飲む訳にはいきませんでした。でも、このとき、Sさんはこんなことを言っておられました。
「ああ、若いうちから、食べ物に気をつけていればよかったな〜。」
Sさんは、家庭の事情で、高校生の時から弟さんと二人でアパート暮らしをしていました。
食べるものといえば、ほぼ、毎日、インスタント食品だったのだそうです。ラーメンや、たまにご飯を炊けばレトルトカレーなど、どうしても、手軽なもので食事を済ませていたそうです。
その時の食生活が、今になって、ガンという姿になって現われたのではないかと、Sさんは思っておられたようです。
そして、私にも、食事に気をつけるようにと、言われたのでした。
あれから二十年なのですね。
今でも、ひょいと、あのSさんが、私の店にやってきそうな気がします。
そして、その時のために、私は無農薬で野菜を育て、できるだけ添加物のない食べ物を作っています。Sさんに、そして、すべての人に、安心してそばを召し上がっていただくために。
かんだた店主 中村和三