2017年01月

旅に出たときぐらいは、そば以外のものを食べたい!

毎日そばを食べているのだから、
旅行に出たときぐらいは、
他のものを食べたいな〜〜、
と思っているのだが、
なかなか、そうもイカないようだ。

高崎の街で、
どこかで昼でもいただこうと思って、
ブラブラと歩いてみた。
ネットで調べる方法もあるが、
なんの先入観もなく、ふらっと、
気に入った店に入ってみるのも、
旅の楽しみなのだ。

出来れば、普段食べない、
普通のお米のご飯を食べたい。
魚や野菜の煮付けをおかずにしてね。
駅の中のチェーン店のようなところではなく、
個人で頑張っているような店に入りたいな。
などと思いながら高崎の駅の周辺を歩いてみた。

ところがねえ、
あまり、目に留まるような店が見当たらない。
カウンターだけのラーメン屋さんや、
見た目はおしゃれな、イタリア風ごった煮うどんの店や、
インド風汁かけご飯の店は目立つ。
でもねえ、普通の和食屋さんが、見当たらないんだねえ。
歩き疲れたし、時間もなくなってきたので、
結局、それまで、あえて無視をしてきた、
「そば」の看板の店へ。
天丼とのセットがあったので、それをいただく。
昔ながらのお店で、良心的な値段で、
頑張っている。
多くのお客さんで、狭い店内は賑わっていた。

さて、四万温泉には二泊したので、
あいだの昼は、温泉街に出ていただくことになる。
が、小さな温泉街、食べるところが限られている。
表にメニューの出ていないうなぎ屋と、
そば屋が二軒、中華料理屋は定休日、
おしゃれだけれど、素人感が漂うカフェ、
旅館の食堂のうどん。

それしか選択肢が無いので、
必然的に、片方のそば屋へ。
温泉地にかかわらず、
しっかりと手打ちされたそばで、
なかなか良かった。
私には苦手な酒も、そこそこのものだった。

そして最後の日は、
真田信繁とも関わりのある沼田へ行ったのだが、
ここでも、つい目に入る「そば屋」を無視して、
街なかを歩いてみる。
新しく建てられたばかりらしい、
中華料理店で食事。
ランチメニューだったけれど、
まあ、いただきました。
、、やっぱり、そのへんのそば屋のほうがよかったかな、、。

ということで、
旅に出ても、そば屋から離れられないのだ。
というか、
長野を歩いてみてもそうだが、
普通のご飯とおかずを出してくれる店が、
街なかから減っているのだね。
多いのはラーメン屋さんと、
イタリア風の食べ物屋さん。
そういうのが、時代の好みなのだろうか。

その中でも、
しぶどく生き抜いているのが「そば屋」なのかもしれない。
店にもよるかも知れないが、
旅先で入っても、それとなく、
心落ち着ける気がする。
いや、それも、自分がそば屋をやっているから、
感じることなのだろうか。

そんな旅する人の、
拠り所にもならなくてはねえ、そば屋は。
それにしても、
この頃の外食の姿は、
う〜〜ん、これでいいのかなぁ、
と、年寄り的に憂いてみたりする。

四万温泉「小松屋」さんのそばです。

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二泊三日の湯治では治らない、私の病気。

  「昔の人は、長い時間をかけて、
歩いてこの山奥の温泉にやってきたのですよ。」
 68歳だという宿の社長さんは、
飄々とした風貌で、そう語る。
 「そして、何日も滞在して、
病気や傷の治療をしていたのですね。
 それが、湯治(とうじ)というもので、
温泉の本来の目的だったのですよ。」

 群馬県にある四万(しま)温泉は、なるほど、
谷あい深くに、細長く伸びた、閑静な温泉街だ。
その中にある積善館本館は、
江戸の初期、
元禄年間に建てられた建物が残っている。
あれ、善光寺の本堂より古いのだね。

と言っても、その後、増築や改築が繰り返され、
その頃の建物が残っているのは、
玄関の周辺だけなのだそうだ。

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それにしても、時代を感じさせる、
木造の建物が連なっている。
宮崎駿さんのアニメのモデルになったとか。

この宿で、夕方、歴史探訪ツアーなるものがあり、
社長さん自ら、話を聞かせてくれるのだ。

その話によると、
昔は廊下が外側にあり、
そこで、七輪などを使って、
食事の準備をしたのだそうだ。
客は、そうして自炊しながら、
長い時間をかけて、
身体を癒やしていたのだね。

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この宿では、今は自炊こそ出来ないが、
古い建物と簡素な食事で滞在する、
「湯治スタイル」という温泉の楽しみ方を提案している。

そこでせっかくの正月休みを、
この宿で二泊することにした。
何しろ一泊二食つきで七千円ちょっと。
この値段も魅力的だ。

部屋は古くて、隙間風が通るのではないかと思ったら、
しっかりとキレイにしてあって、
自分で敷く布団もそこそこのもの。
食堂でいただく食事なんぞも、
予想以上に質の高いものだった。
さすがに、後ろに高級旅館を併設しているだけあって、
それなりの、盛り付け、味付けで感心してしまった。

そんなことで、湯に入っては、
こたつでウトウト、
百薬の長と言う薬を、
仕方なしに飲みながら、
俳句の本なんぞを、眺めながら過ごさせていただいた。

昔の人は、
こうして、温泉に入って、
ゴロゴロと過ごして、病気を直していたのだろう。
簡素な食事でも、充分だったのだね。

おかげで、ゆっくりと過ごさせていただいた休日。
でも、二泊では足りないなあ。
せっかくの湯治だから、
一月ぐらいは居たいなあ、、。

ということで、
私の「怠け病」は、湯治では治らない様子。

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一日に、何人分のそばを、手打ちできるのだろう?

明けましておめでとうございます。

いまさら新年の挨拶となってしまったが、
何しろ、年末から、この成人の日の連休まで、
休みなく営業していたので、
全くブログを書く時間もなかった。

年越しそばのそば打ちから、
正月の怒涛の営業をこなし、
通常営業になってからは、
料理の仕込みに追われた。

なにやら大きな山を越えてきたようだ。
そして、その山が、年々高くなっているように感じるのは、
私の歳のせいかなあ、、、。

ありがたいことに、
年越しそばの注文をたくさんいただき、
30日,31日はそのそば打ちに追われた。
一日で25キロ、
人数分にして270人分ぐらいだろうか。
私にしては、そのくらいが、目一杯のようだ。

でも、聞く話によると、
一日500人分ぐらいのそばを、
手打ちしている方もいらっしゃるとか。
あの名人と言われる方は、
1500人分をこなすとか。

まあ、一人前のそばの量の違いや、
お弟子さんに手伝わせるということもあるだろうが、
それにしても、スゴイものだ。

私なんぞは、腰や背中のこわばりを、
適当にいなしながら、
指の関節の痛みに触れないように、
なんとか、麺棒を振り回しているのだ。

正月も天気に恵まれ、
善光寺は、大勢の参拝客でにぎわったようだ。
お陰で、私の店にも、
長い長い列ができてしまった、、、
いや、私は見ていないのでわからないのだが、
あとで、お客様や近所の人に、そう言われてしまった。
皆さんありがとうございます。
そして、長らくお待ちいただいたのに、
店に入れなかったお客様、
申し訳ありません。

大晦日のラジオで紹介していたそば屋では、
その日に4千人分のそばを打つのだそうだ。
なるほどなあ、製麺機で作れば、
そのくらいは作れるのだろう。

数を多くこなす工夫は、
商売として必要なことだ。
でもねえ、
自分の体で作れるものは、たかが知れている。
納得して、お出しできるものを作っていきたい。

だから、無理はしないのだ。
明日は、やっと、二週間ぶりの休み。
このところ、ミスが多いのも気にかかる。
やはり、無理をしたのかなあ、、、。

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