●秋の味覚といわれる、松茸。
みなさん、今年は何回松茸をお食べになりましたか。
私なんかもう、数十回も、、、夢の中で、、、、
ということで、実物は一度も。
採れたての松茸は、火にあぶって、
熱いところを手で裂いて食べる。
これが最高。
こりこりとした歯ごたえが、たまらない。
でも、昨年は松茸の採れ高日本一になった長野県でも、
ちょっと、手に入れるのは難しい高嶺の花。
さあ、そばにも、その松茸を使ったものがあるようで。
東京の老舗のそば屋さんのお品書きの中に、
「おかめ」というのがある。
これは、暖かいそばの上に、
様々な具をのせてある、
ちょっと、贅沢な気分のそばだ。
「おかめ」とは、
下ぶくれの女性の顔のこと。
「お多福(おたふく)」ともよばれ、
縁起がいいと言われている。
様々な具を使って、
この「おかめ」の愛嬌ある顔を、
そばの上に描き出そうというのが、
この種物の特徴だ。
●この「おかめ」というそばを考案したのは、
江戸は入谷にあった太田庵というそば屋だった。
時代は幕末というから、
ちょうど「篤姫」が大奥にいた頃なのかもしれない。
具の並べ方は、
まず、一番上に、娘の髪型になぞらえて、
真ん中を結んだリボン状の島田湯葉を置く。
そうして、かまぼこを二枚、
下ぶくれの頬に見えるようにハの字に置く。
そのかまぼこの間に、
薄切りにした松茸を置いて、鼻に見立てる。
これを基本にして、
卵焼きを口にしたり、
椎茸や、小松菜、海藻などを髪の飾りに使ったり、
などと、いろいろと工夫がされたみたいだ。
それを蓋付きのどんぶりに盛り付け、
蓋を開けたとたん、
愛嬌のある「おかめ」の顔が現れるという趣向。
これが「見立て」を楽しむ江戸っ子たちの間で大受け。
それまで、具をのせたそばとして流行っていた、
「しっぽく」の影を、
瞬く間に薄いものにしてしまったそうだ。
●しかしながらこの「おかめ」。
今では、「おかめ」の顔をかたどって出されるところは、
ほとんどなくなった。
「おかめ」といえば、かまぼこと椎茸と青菜などを、
熱いそばの上に載せたものとなった。
肴の少ないそば屋では、
この「おかめ」を頼んで、
上に乗った具で、酒をちびちびと飲み、
最後に伸びきったそばを食べる、
という飲んべえも居るようだ。
さて、今回の話の中心は、
この「おかめ」の顔の中心にあるべきもの、
鼻に見立てたという松茸なのだ。
●松茸を具に使うということで、この「おかめ」
当初は、秋の限定メニューだったらしい。
ところが、そのうちに、
塩漬けの松茸が出回り、
一年を通して、出されるメニューとなった。
でも、松茸をつかうなんて、
かなり高級なそばだったんじゃないの。
ところがところが、
昔は、松茸というのは、
高級どころか、ごく、ありふれたキノコだったらしい。
その辺りの山でも、普通に採れていたキノコだったようだ。
統計によると、
昭和の初め頃がピークで、
全国で、1万トンをこえる松茸が採れた年もあったらしい。
ちょっと待てよ、一万トンというと、
一本50グラムぐらいの松茸に換算すると、、
約2億本。
国民一人当たり、二本ぐらいの松茸が食べれたのだ。
つまり、それほど珍しいものでもなかったのだね。
「おかめ」を作った太田庵。
当時としては、ごく、身近なキノコを、
使っただけなのかもしれない。
●先日、ある温泉施設に行ったら、
「松茸そば 800円」とある。
頼んでみたら、普通のかけそばの上に、
よく、これだけ薄く切ったと感心するぐらいの、
しかも小さな松茸が三切れ載っている。
それでも、松茸の香りはするのだ。
その周辺は松茸の産地だけれども、
多分、そばの上に載っていたのは、
外国産に違いない。
それもそのはず、国内の松茸の消費量の、
97パーセントは、中国やカナダなどからの、
輸入品だそうだ。
今や、国産の松茸は、
年に50トンぐらいしか採れないという。
松茸の入った「おかめ」そばを、
食べてみたい気がするが、
値段を見るのが、ちと、怖い。
かといって、「おかめ」の鼻が無いのも、
寂しいものだ。
それならば、栽培されて、広く出回っているシメジを使って、
新しいメニューでも考えようか。
「ひょっとこ」なんてね。
2017年04月
やせた土地でできる大根が辛い
●松尾芭蕉といえば、
江戸時代の有名な人。
そう、俳句を作っていた人だ。
その人が、故郷の伊賀を出て、
信州に旅をした。
その紀行文が「更科紀行」。
今から300年以上も前の話。
旅は、かなり難儀であったようだ。
善光寺にも寄ったらしいが、
その頃は、今の本堂が建てられる、
ちょっと前のことだった。
さて、その中に、こんな句がある。
○身にしみて大根からし秋の風
はははっ、
芭蕉さん、ちょうど秋の終わり頃採れる、
長野の地大根の辛さに、
よっぽどまいったらしい。
なかなか、いい句がまとまらないと、
紀行の中でぼやいていながら、
しっかりと、この句を書き留めているのだから。
でも、この辛い大根、
どのようにして食べたのだろうか。
単なるご飯のおかずか。
今でもこの地に伝わる「おしぼりうどん」なのか。
はたまた、そばの薬味として食べたのだろうか。
芭蕉が信濃を旅したのは45歳の時。
東北を旅する「奥の細道」より、
すこし前のことだ。
その壮年期の芭蕉さんが口をつぼめた、
辛い大根って、どのようなもんだったのだろう。
●長野市から少し南に下った、
更級地方。
ここは、今でも、辛み大根の産地だ。
ここで採れる「ネズミ大根」と呼ばれる、
それこそ、ネズミの格好をしたちっぽけな大根を、
すりおろして、そのわずかな汁をぎゅっと絞る。
その、乳白色の汁で、そばやうどんを食べるのが、
昔からの流儀。
これが、ものすごく辛い。
私が長野に来たばかりの頃、
初めてこの汁で、うどんを食べた時、
しばし、固まってしまった。
たかが大根の辛さと、
たかをくくっていたからだ。
唐辛子のひりひりする辛さとは違う。
言わせてもらえば、
頭の皮が、ピンと引っ張られるような辛さなのだ。
おかげで、そばやうどんの味なんぞ、
分かったものではない。
でも、味噌をその汁に溶きながら、
つい、食べ進んでしまうのだ。
この大根、この地方の痩せた土地にしかできないらしい。
ほかの場所で育てても、この、
暴力的ともいえる辛みは、でないのだそうだ。
●信州だけでなく、
地方では、大根の絞り汁に、
味噌を溶いて、そばを食べるのが一般的だったという話。
これならば、わざわざ、出汁をとる手間もない。
雪深い北信濃では、
こんな風に昔から言われてきたという。
「一そば、二こたつ、三そべり」
農作業のできない、
雪に閉じ込められた冬は、
こたつに入り、
辛み大根の汁で味噌を溶いたつゆで、
新そばをすすり、うとうととしているのが、
一番の極楽だったそうだ。
こういう食べ方も、
見直されていいのかもしれない。
もちろん、こたつ付きでね。
●大根は、場所によって、
様々な種類が作られている。
今でこそ、青首大根しか見かけなくなったが、
本来は、その土地にあった大根が育てられていた。
その中に、更級のねずみ大根のような、
辛〜いものも、あるのだね。
そんな大根を使って有名なのは、
「越前おろしそば」。
ここで使われる大根も相当辛いらしい。
一度食べにいってみたいものだ。
「かんだた」の畑でも、
今年は信州地大根を育ててみた。
ねずみ大根ほどではないが、
ちょっとピリ辛。
私の細いそばには、
はたして、合うのだろうか。
ご希望の方はお試しを。
この辛い大根を食べれば、
芭蕉さんのような、
いい俳句がつくれるかなあ。
何気なくこなしている、ものの数え方
●さて、問題です。
寿司屋で、
「マグロ、1カン(貫)」
と頼めば、何個のすしが出てくるのだろう。
えっ最近は、「皿」でしか数えたことがないって?
外国人が日本語を学ぶ時に苦労することの一つが、
ものの数え方だという。
日本語では、数字の後に、
それにふさわしい言葉をつけて、
その数を表す。
例えば、子供三人、大人五人、
船が一艘、飛行機一機、
我が家に一台、となりに五台の自動車。
犬はワンワン二頭いて、猫は三匹昼寝中。
ウサギは五羽で跳ね回る。
花は一輪、木は一本、
バラを十本で一束にして、六ヶ所に送る。
それぞれに、ものによって、
また、その状況によって、
私たちは、数え言葉を選んでいるのだ。
紛らわしいことに、
同じ犬にしても、
抱きかかえられるような小さなものは、
「匹」と呼び、
大きい犬は「頭」と呼ぶ。
海で泳いでいる魚は「匹」で数えるが、
魚屋に並ぶと「尾」に変わる。
イカやカニは「杯」と呼ぶ。
などなど
いろいろな決まりがあるのだねえ。
●さて、そば屋の世界では、
どんな数え方をするのだろうか。
お客さまが、
「そばを一枚おくれ。」
といえば、
もりか、ざるか、冷たい盛ったそば。
「そばを一杯。」
といえば、かけか、丼に入ったそば、
ということになる。
だから、
「寒かったから、二杯立て続くに食べた。」
「盛りが少ないから、五枚ぐらいは食べられる。」
と聞けば、何を食べるのか想像ができる。
厨房では、
それぞれの注文を「一丁」と呼ぶらしいが、
私は、使わないなあ。
なお、店によっては、
「一人前」と頼むと、もりが二枚出てきて、
「一枚」と頼むと、本当に一枚しか出てこない、
複雑なところもある。
●栽培されたそばの実の「一粒」一粒は、
収穫されて袋に詰められる。
そうして「一俵」ごとに出荷される。
ちなみに、そばの「一俵」は45キロ。
米の60キロとは、ちょっと違うのだね。
大麦は50キロ、炭は15キロで「一俵」と呼ぶそうだから、
人のかつぎやすい大きさで、決まるのかもしれない。
それが、製粉所に行って、
粉にされて紙袋に入れられると、
「一袋(たい)」と呼ばれる。
そば粉の「一袋」は22キロ。
どういうわけか、そのような決まりになっている。
そうして、各店でそばにされて、
一人前ずつに分けられると、
「一玉(たま)」と呼ばれたりする。
そばの麺は「一本」と数え、
かんだたには、
「そばは八本ずつ食べる」
という決まりがある。
(あまり気にしなくてもいいけれど。)
乾麺の場合は、それを束ねて、
「一把(わ)」とか「一束(たば)」とか呼ばれる。
それが箱に入れば「一箱」、
袋に入れれば「一袋(ふくろ)」。
よく、土産物屋の店先で売られているやつだ。
●注文が
「ビールを一本」といえば瓶ビール、
「ビールを一杯」と言われれば生ビール。
箸は「一膳」、床に落として、片方だけだと「一本」。
おつまみは「一皿」「一品(しな)」。
店で座る椅子は、
脚が四本あっても「一脚(きゃく)」、
テーブルは「一卓(たく)」。
楊枝は「一本」、紙おしぼりは「一枚」、
メニューブックは「一冊」または「一部」。
座敷に上がって脱いだ靴は「一足」、
上着をかけるハンガーは「一本」。
壁にかかった絵は「一点」、
掛け軸だったら「一幅(ふく)」、
生け花が飾ってあれば「一鉢(はち)」
帰りに頼むタクシーは「一台」、
おっと、忘れちゃいけない、傘は「一本」。
勘定書は「一枚」、
ええっ、「一通」にするほどツケが溜まっている。
ということで、「一組」のお客さまが、
お帰りになった。
なるほどなあ、
知らず知らずのうちに、ずいぶんと、
ものを数える言葉を使い分けているのだ。
●さて、おそばの前に、
「ちょっと一杯」という方もいらっしゃる。
この「一杯」というのは、
不思議な一杯で、
たとえ、おかわりを重ねようとも、
いつまでも「一杯」なのだ。
「そば前に酒を四杯飲んだ。」
などというのは、
警察に尋問された時か、
馬鹿正直な人の日記に書かれるぐらいで、
たいていは、
「ちょっと一杯」で済まされる。
いくら飲んでも「一杯」。
これも、不思議なものの数え方だなあ。
ちなみに、寿司屋で
「マグロ、一貫(かん)」
と頼むと、老舗の店では二個出てくる。
ところが、スーパーなどで頼むと一個。
まぎらわしいなあ。
本来は、江戸時代の穴あき銭一貫分の大きさで、
そのままでは、大きくて食べにくいので、
二つに分けて出したのが、始まりだとか。
つまり、握り鮨2個で一貫ということ。
ところが、最近は、手巻き寿司の「巻」や、
「個」がなまったものとする考えがあり、
一個のすしをあらわす意味と、
混同されてきているようだ。
だから、確認した方が無難。
ところで、そば屋で、
「そば、一貫」と頼むと、
生そばで3.75kg、
かんだたの場合だと約30人分のそばが、
どかんと出てくるのでご注意を!