2025年02月

昭和初めの、文化財の宿に泊まった伊東。

伊東の駅は、
海に近いことを知っていた。
東京に住んでいた若い頃に、
日帰りで泳ぎに来た覚えがあるからだ。
だから、電車から降りれば、
海の香りがするかな、、
と思っていたのだが、
クンクンクン、
そんなことはない。

今は真冬の真っ只中。
最も海の香りのない季節だ。

ならば、
町中のいたる処に湧き出している、
豊富な温泉の匂いがするかと思えば、
クンクンクン、
そんなこともない。
このの湯は透明で無臭なのだ。
草津や渋みたいに、
街に入ったとたん、
温泉らしい硫黄の匂いが鼻をつくわけではない。

昭和の時代には、
おそらく旅館の名の入った送迎バスで溢れていただろう。
のぼり旗を持った、はんてん姿の番頭さんたちが、
電車の着くごとに、予約のお客さんを迎えたいたことだろう。
そんな、どこでもあった温泉町の駅前の風景は、
今は昔。
閑散としたロータリーで、
タクシーの運ちゃんが、大欠伸をしている。

そんな伊東駅前は、
いかにも、これから三日間の休みを送るのにふさわしい、
のんびりとした雰囲気なのだ。
冬だというのに、寒さを感じさせない、
この空気感がいい。
やっと取れた、遅ればせの正月休みを、
暖かなところで過ごしたい、、。
そんな、ジジイ、ババア臭い発想で、
風の冷たい長野からやってきた。

泊まった宿が、
昭和の初めに建てられたという、
木造三階建の古い旅館。
なんと、国の登録文化財になっている。
そこが、いまは、ゲストハウスに。

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その入り口の雰囲気からすばらしい。
お寺の入り口のような、
彫り物の入った屋根。
入り口のガラスの引き戸には、
以前の宿の名が金文字で入っている。
中に入れば、けやき張りの広い廊下が。

部屋は三階の一番奥の突き当たり。
その階段が、複雑に入り組んでいるあたりが、
古さを感じさせる。
館内の表示は横文字ばかり。
そう、本来は、外国人向けのホステルなのだ。

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夕方、一階の共有スペースで、ビールを飲んでいたら、
大きな荷物を持った外国人たちが、
続々と入ってくる。
その半分ぐらいはアジア系の旅行者だ。
外国人のスタッフもいて、
英語で、一通りの説明を受けた後、
鍵をもらって、それぞれの部屋に入っていく。

彼らに、この日本の古い建物は、
どのように写っているのか。
古い畳の部屋に、
自分で布団を敷いて眠るのだ。
私たちには当たり前だけれど、
貴重な体験ができるに違いない。

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地下に温泉の浴場がある。
それほど大きくはないが、
ここだけは、新しく改装されていて、
大理石張りの壁に囲まれた、
モダンな浴室だ。
分福茶釜の湯口から出る湯は、
もちろん源泉掛け流し。
加水も加熱もしていないそうだが、
熱くも、温くもなく、匂いもなく、
気持ちのいい湯だ。

あれだけの外国のお客さんが来たのだから、
さぞ、混んでいるだろうなあと思ったら、
いつも一人でゆっくり入れる。
たまに、外湯めぐりの日本のおじさんがいたが、
外国人とは会わなかった。
そうか、外国の人には、
こういう大風呂に入る習慣はないのだろう。
赤の他人と、裸で向き合うことはないのだ。

でも、2箇所ある小さな湯船の貸切風呂には、
いつも使用中の札が掛かっていたから、
こちらを使うのだね。

古い木造の建物だ。
これだけの人が泊まれば、
さぞ、音が響いてうるさいだろうなあ、
と覚悟していたのだが、
とても静かだった。
部屋には、耳栓が用意されていたにも関わらず。

外国の人たちも、廊下や階段を、静かに歩くし、
行きあえば、軽く目で挨拶をする。
スタッフが気を遣っているのかもしれないが、
共用のキッチンも、いつも綺麗に片付いている。
皆さん、この古い建物の宿にリスペクトの念を、
しっかりと持たれている気がする。

かえって、我々日本人の方が、
それを忘れているのではないだろうか。

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70歳というジジイになると、
旅館に泊まるのが怖くなる。
人的サービスが有り余っていた昔ならともかく、
最近の旅館は制約が多い。

その一番は、夕食だ。
これでもかと、テーブルにいっぱいの料理を並べてある。
見た目は綺麗かもしれないが、
普段は夕食を軽くしている私たちには、
それを、見ただけで腹一杯になる。
しかも、私の世代の常として、
料理は残してはいけない、、
というバイアスが入ってしまうのだ。ふう。

一晩かけてお召し上がりくださいというならいいが、
たいていは、苦手な酒を、
無理して味わう暇もなく、
1時間ほどで、部屋に追い払われる。
朝食なんぞ、8時からですと一方的に言われ、
5時に朝風呂を浴びた後の時間を持て余す。
仕方ないので、自動販売機にある飲み物を、
いやいやながら、飲んで待っていると、それでも足りず、
もう一つ、もう一つと飲んでるうちに出来上がって、
朝飯を食った後に眠くなる。
えっ、それで10時が追い出し時間、いやチェックアウトだって。

だから、山の中の宿ならともかく、
ほかに食事の取れるところがあるのなら、
素泊まりの方が気楽なのだ。
まして、このようなゲストハウスは、
自由に使えるキッチンがあるのが嬉しい。
近くのスーパーで、
静岡名物「黒はんぺん」なんぞを買ってきて、
朝食に焼いて食べる。
もちろん、冷蔵庫には、
自分の名前を大きく書いた、
缶ビールを入れておく。

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その宿の隣も、
やはり、昭和の初めに建てられた元旅館で、
似たような外見だ。
こちらは、伊東市の博物館になっていて、
昔の旅館文化を伝えている。
床柱や、明かり障子などに、
独特の意匠を凝らした部屋が残っている。
大勢いたという、芸者を呼んで、
宴会をしたという大広間も残っている。
ここでは、今でも、芸者の講習会が開かれているという。
それも、観光客向けに。
その会場となっているようだ。

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若い人には、
ボロ宿にしか見えないかもしれないが、
昭和の高度成長の前の世界を知っている、
まだ死にかけないジジイには、
懐かしく、
気持ちを落ち付かせる宿なのだ。

夜になれば、
古賀政男のギターの音色なんぞを、
頭の中に響かせながら、
街を歩いてみる。
たしか「湯の町エレジー」って、
伊豆が舞台だったよね。

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表通りから外れて、
暗い路地にポツンと灯の入る、
小さな居酒屋に入ってみれば、
なんと、地元の人たちで大賑わい。
後から入ってきた人が断られていたから、
カウンターに座れた私たちはラッキー。

刺身を頼んでみれば、
山国の長野とは、
全く次元の違うものが出てくる。
ううん、冬のメジは美味いなあ。

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しかも、静岡の銘酒が、
それも、純米吟醸クラスの酒が並んでいるので、
苦手なお酒を克服するべく、
不本意ながら、徳利を傾ける、、、。
次の日も、夜はこの店に、、。

という、
伊豆の伊東での三日間。
のんびりと、気楽に過ごせたかな。

湯めぐりの伊豆、伊東

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海から昇る朝日を見ながら、
温泉に浸かることができる。
そう聞いて、5時半に宿を出た。

真っ暗な海沿いの国道を歩くこと30分、
目指す温泉施設に行き着いた。
海はまだ暗い。
水平線のあたりが、少し明るくなっているが、
雲のせいか、ぼんやりとしている。

そこは、伊東マリンランドと呼ばれる、
観光客向けの大型施設だ。
その一角に、その名も「朝日の湯」という、
温泉があるのだ。
私たちは、伊豆半島の伊東に来て、
三日目の朝を迎えるところだ。

入場料を払って二階に登ると、
風呂の入り口に「本日の日の出」、
6時48分と書かれている。
しまった、早すぎた。
まだ6時になったところだ。

隣のレストランは6時からの営業とのことで、
開店準備をしている。
さっと風呂に入って、ここでビールでも飲みながら、
朝日を拝むか。

風呂に入って驚いた。
先客が10人近くいる。
もっとも、かなり広い浴槽なので、
そのくらいならばガラガラなのだが。

ほとんどの人が、
ぼんやりと窓の方を見ながら、
湯に浸かったり、椅子に腰掛けている。
その窓は、湯気で曇っていて、
果たして、夜明けの薄明かりなのか、
すぐ下の、ヨットハーバーの明かりなのか、
よくわからない。
しかし、東の海に向いているので、
晴れていれば、これから、朝日が差し込むことだろう。

なにやら、身体も心も弛緩しきっている老人たちの中に、
自分も吸い込まれそうな気がして、
早々に、湯を上る。
そうしたら、女将はすでに上がっていて、
女湯には誰もいなかったという。
朝6時に暇にしているのは、ジジイばかりのようだ。

レストランでは、ちゃんとしたアジの干物定食が食べられる。
釜揚げしらす丼も。
もちろん、生ビールもね。

昨日も、宿の近くの公園に、朝日を眺めに行った。
そこには伊東を拠点に制作を続けている、
重岡健治さんの作品が並んでいる。
彼の重厚な彫刻と、海の風景は、よく似合っていそうだ。
だが、雲が多いのと、その場所からは、
朝日は、海からではなく、山から昇るようだった。

今日は、くっきりと、
海から昇る朝日を見たい!
予報も快晴。

そう思って、
早起きをして、歩いて、ここまできたのだ。
ところが、レストランの窓越しに、
ヨットハーバーの上から出た朝日は、
なんともふてぶてしい。

まるで、独身最後の日のどんちゃん騒ぎのあとのような、
二日酔いの目をしていた。
あるいは、眠たくてしょうがない子猫が、
無理やり起こされて、
仕方なしに半分目を開けたような、
そんな太陽だった。

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高い山に登って、山小屋に泊まった時、
そこから見る朝日は素晴らしい。
その陽が、山々の頂を照らし始める時、
まるで、ベートーベンの五番が響くようだ。
茜に染まる雲を従えて、
これから1日の始まりを、
神々しく伝えるのだ。

それに比べて、
この日の出はなんだ。
時間が来たので、
仕方なしに出ました。
まるで、出来損ないのサラリー、、、
いや、彼らだって大変なのだ。
たまたま今日が、
そんな気分だっただけなのかもしれない。

そうなれば、こちらも気分を変える。
一度、宿に戻る予定を棄て、
伊東駅から電車に乗って、
波打ち際にあるという露天風呂に向かう。

30分の乗車で降りたのは、
伊豆北川駅。
これ、「いずほっかわ」と読むのだね。

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露天風呂は10時からと聞いていたから、
まだ一時間以上。
仕方がないので、海を望む公園があるというので、
急な坂を登ってみる。
展望は樹木に囲まれて、大したことはない。
大島が、海鼠みたいにぼんやりと横たわっている。
城ヶ崎海岸の、切り立った崖が見え、
その上に、丸い山頂の大室山が、
トトロの頭のように、
ニュウと突き出している。

晴れの予報だが、
全体に雲が薄くかかっているような感じ。
だが、春のような、
艶かしさはない。

でも、広場を見渡せば、
周りに立派な桜の木が。
花見には賑わう場所なんだなあ。

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小さな港まで降りて、
海沿いの堤防を歩いていく。
海の反対には、
6、7階はある、
高級そうなホテルが並んでいる。
なるほど、部屋の窓からは、
すぐ前が海、
最上階の露天風呂からは、
それを楽しめるというわけだ。

この堤防の道は、
ムーンロードと名付けられている。
ここも東向きの海に面している。
時として、素晴らしい朝日が眺められるはずだ。
なぜ、サンライズではないのか。

なんて、言いながら、
せっかく休みに来て、
朝日の昇る時間に起きる奴がいるかと気がついた。
そんなことを喜ぶのは、
私のような、むこう向きのジジイだけだ。
まして、夏の暑い太陽に照らされながら、
コンクリートの堤防道路を歩く辛さは、
容易に想像できる。

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んなことを考えながら着いた、
黒根岩風呂。
入り口で700円なりを払って、
階段を降れば、
まさに波打ち際。
簡単に囲っただけの脱衣場。
中に入れば、先客が二人。
直径5メートルぐらいの、
岩で囲まれた湯船が二つある。

湯気の具合で熱いかと思ったが、
それほどでもなく、
ゆったりと入れる。

そして、確かに目の前が海。
まさに、目の高さに海があるのだ。
これは初めての経験。
目の前の岩に、
波が砕けている。
波の荒い時はどうするのか。

実は、この湯は、
荒波に何度も飲み込まれ、
その都度に、
地元の人たちの協力によって、
作り直されてきたらしい。
だから、脱衣所だって、
こんな造りなのだ。
いざとなったら、
波に飲みこまれる覚悟で、
入る湯なのだ。

だいたい、伊豆半島は、
数千万年前、南から流れてきたのだそうだ。
ぷかぷかと浮いてきたのではない。
フィリピンプレートというものに乗り、
日本列島に、ドスンとぶつかってきたそうだ。

その勢いで、地面が歪んで、
丹沢などの山ができた。
富士山などは、その後に出来た、
新しい山らしい。
いまだに、この伊豆半島の、
日本列島への働きかけが続いているのだね。

だから、伊豆には、温泉が豊富だ。
場所によって微妙に温度も質も違うらしい。
北川から一つ先の熱川では、
ゆで卵ができるぐらい熱い湯がでる。
宿にした伊東では、50度前後の、
なめらかな湯がでる。
ここの宿の湯もいいが、
割引券をもらって行った、
他の旅館の湯は、
ややアルカリが高くて、
肌がスベスベする。

伊東市内には、
地元の人向けの銭湯のような温泉が、
数多く見受けられた。
どこも、違う源泉を持っているようだ。
豊富な湯が出るということは、
目に見えない、
地の中に、熱いものを抱えているからだろう。

そんな伊豆半島の特徴に、
深い海を持っていることがある。
海岸から海に出れば、
すぐに、ぐっと深くなるのだ。
だから、本来は深海に棲む金目鯛などが、
伊豆の名物になる。

この黒根岩風呂から見る海も、
波は直前になって崩れる。
遠浅になっていない証拠だ。
ということは、、、。

深い海に住む、ゴジラが顔を出してもおかしくはない。
ゴジラの体を隠すぐらいの深さはありそうだ。
目の前に、にゅうと、顔を出して、
こちらを睨んだりしないだろうか。
期待して海を見つめていたのだが、
そのうちに、湯にのぼせてしまった。
忙しいのだろうなあ、ゴジラ君も。

そんなことで過ごした、
伊東の三日間。
あっという間に過ぎてしまった。

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