未だに営業自粛が続いている。
まだまだ先が見通せない様子。
営業できるようになるには、
相当時間がかかることを覚悟しなければならないだろう。
みんなが行動を自粛して、
感染者が減ったところで、
この病気そのものがなくなる訳ではない。
この病気への確実な治療法が確立される。
ワクチンなどの予防法が広く行われる。
多くの人が、この病気の免疫を持つ。
そのようにならない限り、
今まで通りの世の中に、
戻れないだろうなあ。
百年近く前の関東大震災では、
東京の街は大打撃を受けた。
飲食店の多くは、廃業せざるを得なかったそうだ。
多くの料理人が地方に帰ったので、
東京の料理が、全国に広まるきっかけになった、
という説もあるそうだ。
そば屋の世界では、
この後に、製麺機が一気に普及したという。
再建を機に、合理的な営業を目指したのだね。
太平洋戦争中も、
飲食店は営業できなくなった。
戦後になっても、
数年間は食糧難が続いたそうだ。
そば屋はそば粉が入らず、
配給の小麦粉でうどんを打って、
店を支えていたという。
この時に広まったのが混合機、
つまりミキサーだ。
この器械がないと、営業の許可が下りなかったという。
かくして、そばの世界から「手打ち」が消えてしまったのだね。
また、以前のようなそばの専門店ではなく、
うどんも、丼物も置くような、
広い意味での食堂、
という、そば屋が増えたのだそうだ。
時代の変化に対応して行ったのだね。
さて、今のこの状態の中でも、
忙しい仕事はあるようだ。
また、多少は支障のあるものの、
業務を続けられている方もいらっしゃるだろう。
でも、飲食店は手も足も出ない。
でも、悶々としている訳にもいかないので、
少しはもがいてみることにしよう。
この世界的な災難の後には、
私たちの意識や行動が、
大きく変わるかもしれない。
世の中のしくみも、世界の力関係も、
変化を見せるに違いない。
そんなことを考えていると、
毎日が、結構忙しい、、、のだ。
まずは、歩き回って、身体を鍛えておくことにしよう。
ということで、近くの裏山歩き。
そこから見えた鹿島槍ヶ岳です。
登山もしばらく自粛ですね、、、、。