そば屋の休日

恥ずかしがり屋の天狗岳へ

ええい、
晴れろ、晴れろ。
チチンプイプイ、キリよ晴れろ!

九月初めの八ヶ岳、
天狗岳へ続く稜線。
ノロノロ台風も、
もういなくなるだろうと思っていたのに、
この、モヤモヤとした天気はなんだ!

東天狗岳頂上まで、あと、30分もかからない。
なのに、私たちは躊躇していた。
また登っても、霧に包まれて、
何も見えないのではないか。

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山頂から、硫黄岳はおろか、
赤岳や阿弥陀岳も望めないのではないか。

宿泊した本沢温泉から、
急な山道を登って、
この稜線にやっと辿り着いたところ。
隣には、もうこれ以上登りたくないオーラを発している誰かがいる。

半ズボン姿の、若い人たちが、
楽しげに話しながら、稜線のガスの中に消えていく。

岩に腰掛けて、迷うこと15分。
ついに私たちは、イソップの狐となる。

どうせ登っても、何も見えないさ。

登るつもりだった天狗岳に背を向けて、
緩やかな登りの根石岳に歩を進める。

実は、四年ほど前、同じ時期に、天狗岳に登っている。
その時は、西天狗方面から登ったのだが、
東天狗山頂は、猛烈な東風とガスで、
立っていられないほどだった。
ただ、山頂の標識を確認しただけで、
風に煽られないように、
短い鎖場を降り、岩場を下った。

寒くはないが、風で体温が奪われるので、
荷物が吹き飛ばされないようにしながら、
ウインドブレーカーを身につけた。
そして、この白い砂が敷き詰められたような稜線を、
登山道沿いに張られた、
緑色のロープを手掛かりに、歩いたのだ。

その時の、必死の思いを浮かべながら、
根石岳まで来て、ふと振り返ると、
なんだ、この光景は。

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東天狗も、西天狗も、
綺麗に晴れ上がっているではないか。
先ほど登って行った若者たちが、
山頂に立っているのが見える。
ああ、運命の神様。
私はあなたを、くすぐり倒したい。

ということで、
すぐ近くの根石山荘で、
仕方がなしに、私の苦手なビール。
四年前、強風と深いガスの中で、
この山小屋の看板を見つけた時に、
どれだけ、ほっとしたことか。

標高2500メートルに、
こういう山小屋があるのは素晴らしい。
ここで、西天狗岳をを眺めながら、
手作り感あふれる、ビーフシチューなどをいただく。

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でも、食事を終わって山小屋をでると、
山はまた、ガスに包まれていた。
おまけに、ぽつりぽつりと、当たり始めていたりしてね。

今回は、歩かなければ辿り着けない温泉、
本沢温泉に一泊の予定だった。
でも、すぐ真上に天狗岳があるではないか、
ぜひ、リベンジしたい、
ということで連泊。

ここは、日本一高いところにある露天風呂で有名。
でも、ご覧の通り、脱衣所も何もない場所。
本沢温泉の建物から、10分ぐらい登ったところにある。

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私たちの行った時には誰もいなくて、
チャンスと思ったのだけれど、
湯に手を入れてみたら、かなり熱い。
ちょっと入れないぞと思ったが、
それでもと思って入ってみた。

少しでも動くと、ピリピリとする熱さ。
でも、こういう色の温泉にしては、
上がっても、さっぱりとした泉質だ。

一緒に行った誰かさんは、
足をつけただけで、熱い!と言って入らなかった。
後で聞いたが、板で掻き回すと、少しは入りやすくなるとのこと。

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本沢温泉には、内湯もあり、
こちらは茶色く濁った、別の泉質。
こちらもいいお湯だ。
山小屋なので、8時に消灯だが、
その後、ヘッドランプを点けて、
入るのも乙なもの。

食事は簡素にして十分な、
山小屋のらしいもの。
北アルプスで食べさせられるカレーライスより、
よっぽど気が利いている。
食堂の外に、小鳥の餌台があり、
綺麗な色の「ウソ」が。

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なのに、お酒は充実している。
私は苦手なのだが、
少しでも山小屋の売上にと、
頑張って試して見る。

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そして、山を下る三日目の朝。
なんと、空は綺麗に晴れ渡っているではないか。
どうして、私たちには、
この青空が付いてこないのだろう。
これから、硫黄岳と天狗岳に登るのだ、
というご夫婦を、羨ましく、見送った。

稲子湯登山口まで、
普通は2時間半ぐらいの道を、
私たちは、4時間以上かけてゆっくりと下った。
途中のみどり池からは、
昨日登りそこなった天狗岳が、
くっきりと望める。
またいつか、
というのは、もう70歳を過ぎた私たちには、
ないかもしれない。
だから、その姿を、くっきりと目に焼き付けておくのだ。

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本沢温泉までなら、
もう一度来られるかなあ。

スペイン語は会話帳のカタカナ読みで通じた。

この春に、スペインの巡礼路を、
三週間ほど歩いてきたが、
心配だったのは、コミュニケーションの問題。

巡礼路は、人里離れた田舎町ばかりで、
会うのは動物の方が多い。
通りがかった牛舎の中では、
牛がモオーと鳴くし、
羊たちは、瞳を細くして、
メエ〜〜と声をあげる。

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ニワトリは、コッ、コッ、
コケコッコ〜と雄叫びをあげるし、
門番の犬は、ワォンワォンと吠え立てる。
猫は人懐っこくて、手を見せると寄ってきて、
ニャオ〜っと甘えてきたりする。
バルの椅子に寄ってくるスズメも、
チュンと鳴いてすましている。

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なんだ、スペインと言ったって、
日本と同じじゃないか。
出会った動物たちは、
皆、同じように鳴いている。
スペインの猫が、スペイン語で鳴くわけでもない。
ただ問題なのは、人間と話すときだけだ。

スペインでは、もちろん、スペイン語が話されている。
ところが、この国にも、地方によって、
様々な言葉が話されたりする。
今回の旅でも出会った、バスク語やガリシア語は、
方言の枠を超えて、全く別の言葉のように感じる。
だけど、やはり共通語はスペイン語。
私は、この言葉を勉強してきてはいるが、
なにしろ、普段は使う機会もないし、聞く機会も少ない。
覚えるよりも、忘れる方が多い歳になってしまったようだ。

 

二十代中頃に、ヨーロッパを二ヶ月余り放浪した。
その時に、初めて、スペインという国に足を踏み入れたのだ。
なにしろ、今より弱い円を持っての貧乏旅行。
スイス、オランダの物価の高さに仰天。
ユースホステルで、買ってきたパンを齧って過ごしていた。
その時、他の国のバックパッカーから、
スペインは安いよ、という話を聞いて、
フランスを縦断して、スペインに入ったのだ。

そうしたら、私の予算でも、
安宿の個室に泊まり、レストランで二度の食事ができる。
しかも、ワイン付きでね。
そうして、スペインの南の果てまで、
巡って歩くこととなった。

何よりも嬉しかったのが、
会話が通じたことだ。
えっ、スペイン語を知っていたのかって、
そうではない。

その時に持ち歩いていたのが、
ヨーロッパを歩くバックパッカーに人気のあった、
六カ国語会話集という、小さな本。
日本語の見出し表現の後に、
英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、
そして、スペイン語の言い回しが載っている。
親切なことに、
その各国の本来の文章に、
カタカナのルビが振ってあるのだ。

だから、
ホテル(らしきところ)に行って、
「キエロ・ウナ・アビタシオン」といえば、
ホテルの人は、すぐに察して、
安い部屋に案内してくれる。
一日中開いているバルというところへ行って、
「ウナ・カニャ」と、本を読めば、
ちゃんとグラスに注がれたビール が出てくるのだ。

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スペインでは、会話集をカタカナ読みしだけで、
意味が通づる。
これは驚きだった。
フランス語や英語では、
カタカタ読みは、まず通じないと思った方がいい。
フランスのホテルの部屋の電気が消えた時、
それを伝えるのに、どんなに苦労したか。
会話集を放り出し、とにかく部屋まで来てもらった。
オランダのカフェで、一杯のオレンジジュースを頼むのに、
何回、下手な英語を繰り返したことか。

なのに、スペインでは、
会話集を読むだけで、
まあ、飲む、食う、寝る、動くことができたのだ。

いつかこの国の言葉を覚えたいものだ。
人々の優しい会話であふれかえる、
バルのカウンターでワインを飲みながら、
若き日の私は、そう思ったのだ。

、、、それがいけなった。

当時、長野でスペイン語を学ぶといえば、
ラジオ講座ぐらいしかなかった。
だけど、一人で、何の予備知識もなく、
新しい言葉を学ぶのは、とても難しいことなのだ。
皆さんも、ご経験があることだろう。

何年かして、長野の英会話学校で、
スペイン語クラスを始めると聞いた。
しめた、これで本格的にスペイン語が勉強できるぞ、
と思って、早速申し込み。
初日のクラスには、狭い教室に、
なんと、20人近くの生徒が集まっていた。
嬉しかったね。
今まで孤独に、
ただラジオと向き合っていたのに、
こんなに仲間がいたんだ。

でも、そう喜んだのも、束の間だった。

という話は、また今度、、。

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雪の峠を越えて〜スペイン、サンティアゴ巡礼

あれ、雪に変わってしまった。
これはどうしよう。

スペイン、
カミーノ・デ・サンティアゴの巡礼の道を、
アストルガという街から歩き始めて二日目。
その日は、標高1500メートルの峠を越えて、
17キロ先の町まで行く予定だった。
でも、宿泊したアルベルゲ(巡礼宿)を出て、
1時間もしないうちに、
降り続いた雨に、雪が混ざるようになった。

道は農道のような平らな道から、
坂の急な山道となっている。
しかも、真ん中を、降ったばかりの雨が、
勢いよく流れているので、
靴を濡らさないようにしなくては。

林の中を少し進めば、
片屋根のついたベンチがあり、
ここで雨具のまま一休み。
他に歩いている人もいない。
とにかく、前に向かって、
歩くより他はないのだ。

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さらに、進んでゆけば、
湿った雪が、容赦なく積もってくる。
森を抜け、舗装道路に出た頃には、
もう15センチ以上となっている。
しかも、強い風だ。

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やっと、いくつかの建物の見える集落に入っていった。
バルやレストランの看板があるが、
まだシーズンオフのこの時期は、
何処も開いていないのだ。

どうしようか。
この雪と風の中を、
あと10キロ以上の山道を、
越えることができるだろうか。
しかも、私の携帯電話が使えなくなったので、
何かあった時にも、
連絡もできないし、
自分たちの位置も知ることができない。

その時、一台の白い乗用車が、
集落の上から下ってきた。
立ち止まっていた私たちの前を通り過ぎると、
少し下で、雪の中をブオンブオンと唸らせながらUターンしてきた。
そうしてね、
運転していたおじさんが、
手真似で、ついてこいと言うんだ。
嬉しかったね、この時は。

車を停めたおじさんの後について、
吹き溜まった雪を踏み締めていくと、
たどり着いたのは、一軒のアルベルゲ(巡礼宿)なのだ。
時刻はまだ、12時前。
立ち往生していた私たちのために、
早めに開けてくれたのだね。

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道から少し離れているし、
降ったばかりの雪に、
足跡もなかったから、
案内をされなかったら分からなかっただろうなあ。

とにかく、風の強い吹雪の中から、
暖かい建物の中に入っただけで、
ほっとした。

おじさん、大きな薪を持ってきて、
ストーブの中に入れてくれる。
寝室は大部屋で、
30人ぐらいは泊まれる二段ベットがあるが、
所々に仕切りがあって、
明るく、清潔なところだ。
前日の、薄暗い、湿った感じの宿とは、
全く違っていた。

持参の寝袋を広げて、
自分のベッドを確保する。

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落ち着いたら、
ビールで乾杯。
今日はたった6キロしか歩かなかったが、
とにかく無事でよかった。

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そうこうしているうちに、
同じように、雪に痛めつけらた巡礼者たちが、
次々とやってくる。
他の施設がまだ休業中なので、
電話で確かめてからくる人が多い。

湿った雪で、靴を濡らしてしまった人いて、
用意されていた新聞紙を使って、
乾かしていたりした。
あっ、なんだ、日本と同じなのだ。

夕食は、おじさんの作ってくれた、
牛肉のステーキで、泊まった12人が一緒に食べた。
付け合わせの、ポテトの量の多いこと。
私は食べきれなかったけれど、
他の人たちは、みんなペロ。

ドイツ人なのに、アルゼンチンで、
医者の勉強をしている女性。
アメリカはフロリダからきて、
スペイン語は苦手と言いながら、
すごい勢いで話す、
これも一人旅の女性。
そして私と同年代の、
スペイン人で、俳句を作ると言うジョン。

この夜は、他の人のいびきも、
気にならずに寝られたような気がする。

次の朝も、まだ雪が降っている。
携帯電話が使えないという私たちを心配して、
ジョンが一緒に歩いてくれるという。
彼は、学校の先生をしていて、
外国人にスペイン語を教えた経験があり、
しどろもどろの私の言葉にも、
辛抱強く耳を傾けてくれた。

安全を考えて、
山の中を歩く、
本来の巡礼路ではなく、
自動車の道路を歩くことにした。
もちろん、この雪で、通る車はないが。

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道路なので、登りはキツくないが、
雪の上を歩くのは、
思ったより、応えるものだ。
それが、後ろから、ものすごい勢いで、
追いついてきた人がいた。

「やあ、いい天気だね」
そんな冗談を、明るく言う。
とても背の高い、
体格の良いご夫婦。
聞いてみれば、スウェーデンから来たのだと。
なるほど、彼らには、この程度の雪は、
チョチョンのチョイなのかもしれない。
あっという間に、吹雪の中に消えてしまった。

標高1500メートルには、
鉄の十字架と呼ばれるモニュメントが建っている。
ここに、自分の暮らす場所の石を、
願い事を書いて置くといいという。
そんな、想いのこもる場所なのだね。
だけれども、そこは、風の通り道。
立ち止まることなく、通り過ぎることに。

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そこからは下りになるのだが、
それでも長い道だった。
ゴウゴウと音を立てた除雪車が通ると、
路面は平らになり、
歩きやすくなる。
でも、滑りやすくなるのも事実。

この雪の中で、牛が放牧されていてビックリ。

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少し下るだけで、雪の量が減っていく。
何回か歩いたことのあるジョンがいうことには、
この辺りの、山の景色は素晴らしいそうだ。

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やっと、山あいの集落に着いた時には、
雪は止みかけていた。
宿を予約しているというジョンと別れ、
唯一営業している、レストランの上の、
こじんまりとした巡礼宿に入る。
この巡礼宿も、
瞬く間に、雪の道に疲れた巡礼者でいっぱいになるのだが。

などと、日々、
緊張と驚きと、発見と後悔の連続。
スペイン、サンティアゴ・デ・コンポステェラの
巡礼の旅は、座席にしがみついて、
キャーキャー言っているだけの、
ジェットコースターに乗っているつもりでは、
あっという間に放り出されてしまう旅なのだ。

出会った人たちの、
思いもかけない善意に支えられていることもある。
特に、ずっと話し相手になってくれたジョンには感謝。
雪の中を救ったくれた、アルベルゲのおじさん。
一人で料理を作っているので、
手伝おうと入った厨房の整然さ。
雪の軒先で一休みさせてくれた小屋の、
子犬と、鳴き声しか聞こえなかった猫。

そんな語り尽くせない経験で、
とても贅沢な時間を過ごした旅だった、、かな。

 

20日かけて、スペインの巡礼路を歩いてきた。

この頃、どうも肩の辺が重くなって、
首を回すと、コキコキと音がする。
何やら、膝も曲げづらくなって、
時々、コキっと音がする。

そうか、
だから70歳のことを、
「コキ」と呼ぶのだねぇ。んっ。
ああ、そんな年になってしまった。

私の周りの同年輩の人たちにも、
元気なジジババが多い。
でもねえ、色々と、
健康上の悩みに突き当たっている人もいる。
中には、片道切符を持って、
どこかへ行ってしまった人もいる。

コロナ禍で苦しんだ私は、
まだまだ店を続けるべく、
日々、働き続けなければならない。

でもちょっと待てよ。
元気なうちに、やっておくべきことが、
残り少なくなった人生に、
あるのではないか。

店の仕事はもちろん 大切だが、
それ以上に、
今、やっておかなければ後悔することが、
山ほどあるのではないか。

その、うず高く積み上がった山の中から、
ほんの小さな塊をつまみ上げてみる。
そう、これならできそうだ。
何年も前から、いつかは、
と、密かに温めていたものだ。

これをやるのは、
今しかない。
店のお客様には迷惑をかけるかもしれないが、
思い切って、
「Enter」のボタンを押してみよう。

それが、
スペインのキリスト教の聖地、
サンティアゴ・デ・コンポステラを目指す、
巡礼の旅だった。

私はキリスト教徒ではないけれど、
異国の荒野を歩く、祈りの旅に心が惹かれる。
幸いなことに、スペイン語ならば、
少しは心得があるからね。

ということで、
いくつかあるこの巡礼路の中で、
フランス人の道の
最後の260キロを歩いてきた。
歩いたのは18日間、
前後を入れると25日という長い旅となった。

 

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頼る人もなく、
女将と二人だけで、
言葉も習慣も違う国を、
自分で背負えるだけの荷物で、
毎日毎日歩くのは、
思ったより、大変なことだった。

なにしろ、道は平らではない。
至る所に登りもあるし下りもある。
1日に、700メートル以上の標高差があることもある。

それに、前半の二つの峠を越えた時には、
大雪に恵まれてしまった。
よっぽど普段の行いが、、、
いや、良かったので、あの程度で済んだのだろう。

3月はまだ、巡礼の季節ではなく、
開いている宿も、レストランも少なかった。
目的地に着いても、宿が見つからなかったり、
朝から、夕方まで、食べるところが無かったことも。

1日平均15キロも歩けばいいと思っていたが、
宿のある街は、そう都合よく、散らばっていない。
時に、長い距離を歩かなければ。
なんで、こんなことをやっているのだと、
思ったことしばしば。

そんな苦労もあったけれど、
今思えば、とても、贅沢な時間を過ごせたのだと思う。
日々の暮らしから抜け出し、
全く違う景色、人、食べ物、
世界を体験できたのだから。

ということで、しばらく、
スペインのネタが続くかな。                                                                

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馬籠峠は、外国人が歩いている。

中山道木曽路の妻籠(つまご)宿は、
古くからの街並みが残されている。
宿場町としての街並みを、
これだけ残せたのは、見事なものだと思う。

聞けば、住民全員で古い家を、
貸さない、売らない、壊さない、
という決まりを作り、守ってきたのだという。
今では、使っていなさそうな家も見かけたが、
庭も含めて、きちんと手が入っている。
だからこそ、江戸の街道の雰囲気を楽しむために、
多くの方が訪れる観光地となったのだね。

休みを使って、
以前から歩いてみたかった木曽路を、
南木曽駅からこの妻籠宿、馬籠(まごめ)峠、
馬籠宿、そして中津川駅まで歩いてきた。

まだ春浅い季節なので、
妻籠宿も、観光客は少なく、
閉じている店も多いが
韓国や中国から来られた方々が、
楽しそうに散策していた。

そこから2キロほど登ったところに、
大妻籠という数軒の集落があり、
どこも大きな建物で、民宿をしている。
泊まったのは、その一軒。
入れば吹き抜けに囲炉裏がある。

70半ばという、中々、口の元気なお婆さんが、
色々説明してくれる。
確かに部屋は昔ながらの座敷を仕切ったものだが、
ちゃんと内窓が入って、二重になっている。
ギシギシいう廊下を踏んで浴室へ行けば、
ここは新しくなっていて、木の浴槽が気持ちいい。
トイレなんぞは最新式で、
入るとフタが自動で上がったりする。

山の中で、とにかく自給自足で暮らしてきたそうだ。
だから、食事に出るお米は自家製。
ちょうど野菜のない時期であったが、
手作りの漬物や根菜類、
そして、岩魚や山女はその辺で獲れたもの。
なんと酒まで自家製で「ドブロク」が出た。

そして、その日の同宿人は、
浴衣からはみ出た足に、
すね毛のびっしりと生えた、
大柄の外国人カップル、ひと組。
食事の座敷に、ちょこんと正座している。
びっくりしたなあ。

英語は通じないようなのだが、
(こっちにも通じないが)、
後で聞いたら、イタリアから来たのだそうだ。
朝6時半の朝食に付き合うと、
一番のバスで、彼らは出て行った。
これから京都に行くそうだ。

失礼ながら、このようなディープな宿に、
外国人が泊まりに来るとは思わなかった。
そうしたら、けっこうやって来るとの、
おばあさんの話。
おばあさんも慣れたもので、
相手が分かろうが分かるまいが、
平気で日本語で説明したりしている。

さて、それからの話。
宿を出て、馬籠峠までの急坂を登り、
馬籠宿までのなだらかな坂を降っていったのだが、
その道で出会ったのは、三十人ぐらいかな、
それが、すべて外国人。
大きなリュックを背負って、
逞しい脚で、ザックザックと歩いてくる。

まだ肌寒いのに、Tシャツ一枚で歩いている人がいて、
身振りで寒くないかと聞いたら、
親指を立ててグッドだって。

そうか、馬籠から妻籠の間は
ゆっくり歩いても三時間。
この山道と、昔ながらの建物の姿が、
外国人を魅了するのだろうなあ。

馬籠宿は、流石に観光客が多い。
ここは山が開けて気持ちの良いところだ。
残念ながら、古くからの宿場の建物は、
何度かの火事で焼けてしまったので、
それらしく作ってあっても、
新しい意匠の入ったものだ。
それでも、観光地らしい雰囲気を抱え、
カメラを下げた人々が、
坂を登ったり降りたりいている。

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ところが、馬籠宿を出て、
旧中山道に入ると、観光客は、
あっという間にいなくなる。
そして、古い石畳の道を降れば、
後は中津川駅まで、普通の住宅街の中を、
クネクネと、そして登ったり降りたりの舗装道路。
この道が長いこと。

ところが、この道で行き会うのも、
やっぱりリュックを背負った外国人。
若い女性が、一人でカッカッと歩いていたり。
途中の喫茶店で一服したら、
店のボードに、訪れた外国人の写真がびっしり。
馬籠ばかりではなく、
この道も、外国人に歩かれているのだ。

コロナ禍が落ち着いて、
多くの外国人が日本を訪れている。
長野駅にも、大きなカバンを持った姿を、
随分と見かける。

三年前にスペインへ行った時にも感じたが、
以前に比べ、日本への興味を感じている人たちが、
多くなったようだ。
短い旅の中で、日本へ行くというスペイン人に、
三人も出会ったのだから。

なんでも、ある国のドキュメンタリー番組に、
この馬籠峠が紹介されたとのこと。
だから、こんなに欧米系の外国人が多いのか。
それにしても、日本でも、
何度もテレビで紹介されているのに、
なんで、日本人と合わないのだろうねえ。

でも、ありのままの日本を、
多少の不便は感じても、
それをかえって楽しんでいるような、
そんな旅を、彼らはしているのだろうねえ。
そんな価値観の違いも、
私たちは受け入れてあげよう。
こんな私の店に来る、
勇気ある!外国の方々を、
暖かく迎えてあげよう、無理のない程度でね。

 

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北国街道40キロを歩く。二日もかけて、、、。

「乗り物は速くなった。
 人は孤独になった。」

チャップリンの映画の中のセリフに、
そんな文句があったと、
覚えている。
かなり、あやふやだが。

一月の終わりに、やっと正月休みをいただいた。
本来ならばこの時期は、
怒涛のような正月の混雑を終え、
やっと、肉体的にもほっとできる時期であった。

ところが今年は、
怒涛どころか、べた凪の、
新年となった。
無理をしてきてもらったスタッフ共々、
顔を見合わせて、暇疲れ。

コロナウイルスは、
善光寺への、初詣まで止めてしまったのだね。

そこでいただいた休みも、
遠くに出かけるわけにもいかない。
そこで、自宅から、上田まで、
古い街道、北国街道を歩いてみることにした。

何しろ自宅は、
丹波島という、昔の宿場跡の近くにある。
そこから、車のびゅんびゅんと通り過ぎる、
細い道や、国道沿いを、
地図を見ながら、古い街道と思われる道を、
歩き続けた。

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道沿いは、家がびっしりと建っているが、
自動車以外に行き交う人の姿はない。
マスクをとって、歩いていると、
この時期なのに、じわっと、
汗ばんでくるぐらいなのだ。

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丹波島宿から、篠ノ井宿、
篠ノ井追分宿、矢代宿、そして戸倉宿へ。
宿場の面影を残しているものは、ほとんどない。
そして、20キロ余りを歩いて、
この日は、上山田温泉泊。

次の日は、うっすらと雪の降る中を、
上戸倉宿から広い通りに面影のある坂木宿、
観光客に人気の柳町のある上田宿を通って、
上田駅へ。
やはり20キロ余り。

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本当に、人と行き合わない。
家から出てくるのは、
車に乗った人だけで。
歩く人の姿は、全く見かけないのだ。

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北国街道は、
軽井沢の追分で中山道と別れ、
千曲川沿いに長野を通り、
峠を越えて新潟、上越に至る道だ。

加賀の前田家も、江戸への参勤に使ったらしい。
佐渡で採れた金も、
年に数回、この道を通って行ったそうだ。
かっての難所と言われた、
坂城の横吹も、上田の岩鼻も、
国道沿いに難なく過ぎていく。

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それでも、歴史を感じさせるものは残っていて、
坂木宿広い通りや升形、
上田のうだつの残る町並みなどが面白い。
中でも、上田の上塩尻地区は、
養蚕が盛んだったところで、
今でも、大きな越屋根のついた蔵がいくつも、
綺麗に保存されている。

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なるほど、歩くスピードで街を見てみると、
いつもとは、違ったものが見えたきた、、かなぁ。
この歩いた40キロ余りは、
上田駅で新幹線に乗れば、
12分で過ぎてしまう。
シャクだから、普通電車に乗っても40分。

そして、痩せたかといえば、
全く、、、、。
こんなバカなことをやって、
せっかくの休日を潰してしまった。

、、、また、やろう。

 

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霧ヶ峰のニッコウキスゲは鹿に食べられている。

毎日雨が続いて、
夕方の散歩にも出られない。
コロナウイルスの感染拡大で、
お客様にも、いらっしゃいとも言えない。
畑は草だらけ、
おまけに、野菜だけはたくさん出来て、
ご近所に配って歩いている。

 

世に難解な、「霞ヶ関語」を理解しない私に、
小役人は、意地悪ばかり(そんなことはないのだろうが)で、
なかなか給付金をくれない。
と言って、誰かの悪口を言ったところで、
何の解決にもならない。

 

ということで、
とても「だるい」。
身体ではなく、気持ちがね。
このまま腐れさてはいけない。
何とか、役に立つように発酵させなければ。

 

そんな中、天気を気にしながら、
気分転換に出かけたのが、
長野から車で二時間ほどの観光地、
霧ヶ峰(きりがみね)だ。

 

この季節であれば、
いつもなら、霧ヶ峰に向かう観光道路、
ビーナスラインは、団体客を載せた大型バスが、
頻繁に行き交っているはず。
初心者向けの山道は、
学生や生徒の集団登山で、
押し合い、へし合いしているはずだ。

 

三、四十年も前に、
高い通行料金を払って、
ニッコウキスゲを見にきた私は、
花よりも多い人の数に、辟易してた。
そして、ここには近寄らない方がいいなと、
きめていたのである。

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でも、この頃は、観光の質も変わってきて、
霧ヶ峰も落ち着いてきたという話を聞いた。
ましてや、この、コロナ騒ぎ。
観光バスも、学校の集団登山もないだろうな、
と思って出かけてみた。

 

雨を覚悟で行ったのだが、
何とかの曇り空。
遠くまでの遠望はなかったが、
ぼんやりと八ヶ岳、南アルプスの一部が見える。

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かっては車山一面に咲いていたニッコウキスゲも、
今は、ほとんど見かけない。
何でも、野生の鹿が増えたために、
他の高山植物も含めて、
食べられてしまったそうだ。
だから、柵に囲まれた一部にしか、
ニッコウキスゲも、ハクサンフウロも咲いていないのだ。

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ということで、車山から、八島湿原まで一回り。
車山は、スキーで何度も来ているのに、
一度も展望に恵まれたことがない。
登ってみれば、なだらかないい山だ。

 

この霧ヶ峰の景観は、
自然に出来たものではない。
標高で1800メートル前後だから、
森林限界を超える高さではないのだ。
麓に住む人たちによって、
何百年も前から、牛馬のための草刈り場として、
木が育たないように、手入れされていたそうだ。
近年では、野焼きも行われている。

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広々とした草原を、
いくつかのぼり下りして、
八島湿原の獣避けゲートを潜ると、
いきなり湿原の花盛りとなる。
ここは駐車場も近いので、
観光の人たちが来ていたが、
以前ほどではない。

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それで、
一時間以上かけて一回りして、
またゲートを出ると、
まったく花の姿が見当たらなくなるのだ。
鹿って、すごい食欲なのだね。
っていうか、それだけの数がいるっていうことだ。
登山道でも、ずいぶんと鹿の足跡を見かけた。

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今年は、
山登りも、リスクを抑えるようにとのこと。
そんなことで、
こんな観光地の山を楽しむことにした。
まだまだ、コロナウイルスの影響は続くだろう。
とにかく自分の気持ちを、
たまにはかき混ぜてみて、
腐らないようにしなくては。

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立ち飲みで楽しむスペイン

私たちがスペインに行ったのは、
一月の中旬から下旬。
その頃のスペインでは、
コロナウイルスの話なんぞなかった。
折しも、中国の正月休暇にあたるというので、
首都のマドリードには、
たくさんの中国人が訪れていた。

 

まだまだ、渡航制限の無かった頃だものね。
私たちが、日本に帰ってから数日で、
中国からのそれが始まった。
既に、イタリアでの感染がニュースになっていたが、
スペインでは、対岸の火事という様子だった様だ。

 

それが、三月になって、
スペインでの感染者が急激に増え、
今では、医療が間に合わない様な事態になっている。
それを考えれば、
いい時に行ってきたものだ。

 

日本国内だって、
これからの感染拡大が心配されるところ。
そんな不安な空気の中では、
人の集まるところは敬遠され、
飲食店は、客足が遠のいている。
かんだた、もね。
かなり、、、。

 

こういう時は、お腹の空かない様に、
動かないでじっとしていよう。

 

で、しつこくスペインの話。

 

スペインで食べるところは、レストランの他に、
バルという店があって、
これがなかなか便利なのだ。

 

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入ってみると、長いカウンターがあって、
そこで、立ったまま一杯いただくわけだ。
カウンターのケースに盛られた料理を、
おつまみとして注文することもできる。

 

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立ったまま、食べたり飲んだりするのは、
我々には抵抗があるかもしれないが、
スペイン人は平気。
立ったまま、おしゃべりに興じている人ばかり。
時間帯によっては、どこも、
人で溢れていたりする。
もちろん、椅子の席もあるのだが、
数が少なく、人気店では大抵埋まっている。

 

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マドリードのバルでは、
飲み物を頼むと、
結構なおつまみが付いてくる店もある。
長居はせずに、
そんなバルを何軒か回れば、
しっかりと夕食がわりになるのだ。

 

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そして注目するのは、
そこで働くカマレロ(女性の場合はカマレラ)たちなのだ。
つまり、スタッフたち。
実にキビキビとよく動く。

 

あるバルなんぞ、女性一人で、
次々と来るお客をこなしていた。
我々の勘定をお願いすると、
きちんと正確に持ってくる。
大したものだなあ。

 

だけど、バルを使う客の方にも、
一つのルールがある。
それは、彼らのやりかけている仕事の、
邪魔をしないことだ。
声をかけたり、大袈裟に手を振ったりしないこと。
そんなことをすると、
永遠に無視されることになりかねない。

 

静かに待っていれば、
仕事の区切りをつけた彼らが、
顔を向ける。
その時に話すなり、ジェスチャーで示せばいい。
そういうタイミングを図ることが大切なのだ。

 

そんなところが、日本の居酒屋と違うところ。
だから、大勢の店内でも、
とても静かな印象を受ける。

 

日本の感覚からすると、
一見、ぶっきらぼうに見える彼らだが、
実は、とてもプロ根性に徹しているのだね。
だから、効率よく、
そして実に、良心的な値段で、
一杯を楽しめる様になっているのだろう。

 

ああ、また、
スペインのバルで一杯やりたいなあ。
などと言いながらも、
とにかく、
目の前の難問と脅威に、、、。

 

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スペインのレストランの注文の仕方を知っていれば、、。

スペインの食べ物事情には、
日本と違った、様々な特徴があるようだ。
それもそうだろう。
遠い外国に来たのだから、
どこへ行っても、
日本にもあるフードチェン店ばかりでは、
ガッカリしてしまう。

 

私が半年過ごした30年前と違って、
確かに、そのような店もスペインで増えているようだ。
観光客の多いところでは、
写真でわかりやすいように、
ワンプレートの料理や、
ハンバーガー、サンドイッチなどのメニューを置くところも多い。

 

でもね、
ちょっと路地を入れば、
落ち着いたレストランや、
庶民的なバルなどがあって、
昼時になると(午後二時ごろだけれど)、
店先に定食の内容を書いた、
ボードが出されるのが普通だ。

 

人気のある店は、
あれよあれよという間に席が埋まっていき、
カマレロ(ボーイ)が、忙しげ動き回っている。
スペイン語のわからない人は、
メニューの前で、戸惑っているうちに、
他の人たちの食事は終わっていたりする。

 

でも、
昼の定食(メヌー・デル・ディア)の頼み方を知っていれば、
たとえスペイン語がわからなくとも、
どんな料理が出てくるのかわからなくとも、
とにかく、スペイン人が食べている食事にありつけるのだ。

 

たとえば、
マドリードで借りたアパートの近くにあったこの店。
すでに、三時近くになっていたので、
覗いた何軒かのレストランはどこも満席。
そこで、いかにも地元の人しか入らないような、
この店に。

 

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ほら、
入り口のボードに、
その日のメニューが書いてあるでしょ。

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注意すべきは、
一番目の料理と、二番目の料理が分けて書いてある事。
スペインのレストランの食事は、
一人が二皿を頼むことができるようになっている。
バルセロナなどの、一部の地域では、
三皿頼めるところもあるようだが。

 

一皿目は、野菜とか、豆の料理、
スープ、卵料理など。
二皿目は、肉や魚のボリュームのある料理となる。
だから、一皿目から、指差しでも構わないから、
一品を選び、
そして、二皿目を選ぶ。

 

そして料理を選び終わると、
「パラ・べベール」(飲み物は?)
と聞かれる。
私の場合はたいてい「ビーノ・ティント」(赤ワイン)。
ビールであれば「セルベッサ」。
水であれば「アグア・ミネラル」。
ブドウジュースであれば「モスト」。
などと注文する。

 

ここで遠慮をしてはいけない。
何しろ、定食の料金の中に、
この飲み物の料金が含まれているのだ。

 

この店では、
とても太ったセニョーラが、
笑顔で注文をとりに来てくれた。

 

注文が終わると、
まず、飲み物がでてくる。
ワインを頼むと、ボトルごとどんと置かれたりするが、
これは、全部飲むことはない。
あくまでも、食事の一部。
自分のグラスに注いでほどほどに。

 

そこで、この店での一品目はこちら。
インゲンとハム。
同行の友人ご夫婦には、
うっすら塩味の野菜のスープ。

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パンは一切れづつ添えられている。

 

これを食べ終わった頃、
二皿目が出てくる。
こちらはチキンハンバーグの、
ほうれん草ソース。
私は、小さなタラの唐揚げ。

 

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これだけ食べれば、結構なボリュームがある。
そして、食べ終わった頃、
セニョーラが「ポストレ?」と聞きにくる。
ポストレとはデザートのこと。
フラン(プリン)とかエラード(アイスクリーム)などがあるらしいが、
すでにお腹いっぱいなので、
コーヒーにする。

 

これで定食は終わりとなる。

 

つまりスペインの定食、
「メヌー・デル・ディア」の中には、
一皿目の野菜料理、
二皿目の肉か魚の料理、
ワインなどの飲み物、
パン、
デザート、またはコーヒー、
が含まれているのだ。
それで、この値段。

10.5ユーロ。

日本円にして1300円ぐらいかな。

もっとも、ここはごく庶民的な店。
観光客の多い地区でも、
20ユーロ前後で用意されていることが多い。
もちろん、高級店に行けば40~50ユーロもする。
まあ、懐の都合で選んで貰えばいい。

ただ、基本的な注文の仕方は、
どこも同じ。

料理の内容というものは、
その店によって違うし、
例え多少のスペイン語がわかったとしても、
出てくるまでは、どんな皿が出てくるのか、
わからないものなのだ。

 

そんなロシアンルーレットみたいな、
楽しみ方をしてみた、
スペインの旅だった。

 

 

 

スペインは世界一健康な国。

アメリカの研究機関の発表によれば、
近い将来、スペインは、日本を抜いて、
世界一の長寿の国になるという。

 

また、別のメディアでは、
世界の健康ランキングで、
一位はスペインだと言う。
ちなみに、このランキングでは、
日本は4位となっている。

 

健康や長寿というのは、
様々な条件があって、
一概に、これが原因だとは言えるものではないそうだ。
でも、スペインという国は、
医療制度の充実や、生活習慣、
社会的な仕組みなどで、
その条件が整っているそうだ。

 

そして、食事も大切な要素のひとつ。

 

少しくらい、旅をしたからといって、
そんなことがわかる訳ではないが、
短い間でも、実にシンプルで、
多様な食べ物を味わうことができた気がする。

 

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市場を覗いてみれば、
豊富な野菜が売られているし、
果物、ナッツ類、豆類も種類が多い。
肉も、様々な形で売られていたが、
同じように、魚介類も豊富だ。
他の欧米の国々では敬遠される、
タコやイカも、ドカンと置かれていたりする。

 

その食べ方も、味付けも、
実に単純なのだ。
焼く、蒸す、揚げる、煮る。
それだけの料理が多い。
強いスパイスに頼ることなく、
複雑な味のソースに絡めることもなく、
素材の味を生かしているような気がする。

 

つまり、
あまり加工食品を使ったり、
人工的な味付けをしていないのだね。

 

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特に、ある種の病気の予防になると言われているオリーブオイルは、
至る所に使われているね。
レストランのテーブルに置かれているのは、
サラダのドレッシング用の3点セット。
オリーブオイルと酢と、塩の瓶だ。
付け合わせのサラダは、自分の好みで味付けする。
これが中々良い。

 

でもねえ、
私がスペイン人は長生きするなあ、
と思ったのは、
そんな食事の内容だけではない。
食事の仕方なのだ。

 

スペインの昼食は午後2時ごろから。
そして、それがその日のメインの食事となるそうだ。
だから、働いている人も、一度家に戻り、
家族と共に食事をとるという。
時間をかけて、ワインを飲みながらね。

 

レストランで食べてもそうだが、
この昼食はとてもボリュームがある。
だから、食事が終わったら、一休みをしなくては。
そう、これがシエスタという習慣。

 

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食事時間の午後2時ごろから4時過ぎまでは、
多くの商店は店を閉めてしまうし、
あれ、お役所だって、銀行だって窓口を閉めてしまう。

 

つまり、食事と、その時間を大切にしているのだね。
日本のサラリーマンの、
スマートホンを覗きながら済ます昼食とは、
大きな違いがあるようだ。

 

そんなことで、
垣間見てきたスペインの食事情。
まだまだ、たくさんあるのだ、、、が。

 

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