手打ちそば屋は眠れない

昨年も信州産は、天候の影響を受けてしまった。

農水省の発表によると、
昨年の全国のそばの生産量は、
約3万4千トン。
そのうち北海道が、1万7千トンで、
52%を占める。
長野産は2千トンを超え、
都道府県別では第二位となった。

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一昨年は、長野県産のそばは大不作で、
質のいいそば粉が採れなかった。
だからと、去年は期待していたのだ。
9月までは天候に恵まれ、
目につくそば畑も、順調に花が咲いていた。
ところが、刈入れ時の十月になって、
長雨が続いてしまった。

おかげで、そばの収穫が伸び伸びとなり、
ついには倒伏して、
刈り取られなかったそばが多かったという。
11月の初めに山歩きに行ったときに、
そんな畑を目にして唖然としたものだ。
農家の人も、
大きな手間を掛けてまで、単価の安いそばを、
刈り取ろうとはしなかったのだね。

この天候不順が、
長野ばかりでなく、
東北、関東のそば畑にも影響したようだ。
単位面積あたりの収穫量も、かなり下がっているようだ。
一方、北海道は、台風などの被害もなく、
順調に育った様子。

そばは、どうしても、
その年の天候の影響を受けやすい。
この表のように、栽培面積は変わらないのに、
収穫量が大きく変動している。
そして、その質も変化が大きいのだ。

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同じ畑で作っても、
毎年収穫量やそばの質が違うのだ。
農家の人も大変だ。

その中で、安定して、
質のいいそば粉を提供しようとしている、
中間業者さんや製粉屋さんの苦労は計り知れない。

スポット的に質のいいそば粉が手に入っても、
それを継続的に入手できなければ、
そば屋としての商売は成り立たない。
そばの出来が悪かったから、
このくらいの味で我慢してくれ、
などと、言ってみたいが、
お客様には受け入れられないだろうなあ。

産地にこだわることも大切だが、
そばの場合は、こういう変動が大きいことを、
知っていただきたいと思う、、、しだい。

こちらは、信濃町産の粉で打ったそば。
打っているときから、香りが立ち上がる、
優れたそばだ。
こういうそばを、
安定して提供できるようになればいいのだけれどね。

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アイパッドがレジスター。

店では、一昨年から、
タブレット(アイパッド)を使ったレジを使っている。
いまだにお客様から、
「えっ、こんなものがレジになるのですか。」
などと聞かれたりする。
はい、
こんなものでも、ちゃんとレジスターの役目を果たすのだから、
まあ、世の中、どうなっているのだろうねぇ。

かねてから、レジスターには不満を持っていた。
確かに、日本語で金銭登録機というごとくだから、
お金の出し入れを、正確に記録してくれるのはいい。
でも、その方法が、いかにも古典的で、
融通がきかない。
設定内容を変えるのも手間がかかる。
それに、世の中コンピューターの時代になっているのに、
そのデーターは、
一回一回、ジャーナル(集計表)に打ち出し、
それを手作業でパソコンに打ち込まなければならないのだ。

レジスターのセールスマンに、
パソコンと連携できないのかと尋ねたら、
こう答える。
はい、月々ん万円を払っていただければ、
そういうシステムを使えます。
ははぁ、
私のような零細店には、
使うことも出来ないらしい。

そんなことで、
タブレット端末でレジが使えるという話を聞いたときに、
思わず飛びついてしまった。
当時すでに、いくつものシステムがあり、
それぞれに長短があった。
その中でも、
いちばん使い勝手が悪いとインターネットでの評判だった、
リクルートの「エアレジ」というのを試して見ることにした。
なにしろ、月々の課金がないのが、
貧乏店の私には嬉しかったのだ。

プリンターやドロワーとの接続、
メニューの設定などは、
全て自分でしなければならなかったのだが、
なんとか、切り替えてみた。
スタッフだって、
タブレットは使い慣れていないので、
自分の指先がどこに触っているのかわからず、
突然、別の場面に切り替わったりして、
戸惑ったりした。

正直言って、
最初はちょっと使いづらかった。
間違えて打ち込むと、
初めに戻らなくてはいけないなど、
手間もかかった。
でもねえ、
こういうシステムの素晴らしいところは、
どんどん、自動的に、アップグレードしてくれることだ。
今では、だいぶ使いやすい形に変わってきたのだ。

昨年秋からは、
このレジを使ったカード決済も導入してみた。
そば屋でカードを使われるお客様は少ないと思っていたら、
結構使われる方が多い。
スイカなどの交通系のカードは、
かざすだけで決済が出来るので、
スピードも早い。
現金を扱わないキャッシュレスの時代なのだねえ。

このレジでは、
パソコンの経理システムと連携できるから、
売上などの入力間違いはないし、
すぐに様々なデータを確認することが出来る。
その分すごく楽になった気がする。

便利になることが、
総ていいことだとは思わないが、
まあ、
使えるものは、使ってみるものだね。
変化の激しい世の中、
時代遅れの私でも、
少しは考えたほうがいいのかもしれない。
、、、携帯電話はいまだに嫌いだけれど、、。

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宿では、温泉の温度にも、気を使っているのだね。

年に一回の楽しみといえば、
正月過ぎに休みをいただく時の温泉旅行。
温泉に入って、
ゆっくりする時間がなんともうれしい、、、
なんて、年寄りじみて、
〜〜〜〜いやだねぇ、我ながら。

とはいいながら、
時代のかかった宿を訪れるのが好き。
ということで、
今回行ったのは、
新潟県にある出湯(でゆ)温泉というところ。

私の周りの人に、
出湯温泉に行ってきたと言っても、
その名を、誰一人、知る人がいない。
白鳥で有名な、瓢湖の近くと聞いて、
初めて、場所の想像がつくらしい。
私だって調べるまで知らなかった、
そんなマイナーな温泉地。

でもねえ、
こんな建物がなんとも魅力的で、
私にはうれしいのだ。

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昭和の初めに建てられた建物だそうで、
国の登録文化財に指定されている。
部屋の建具なども、
当時の職人さんの遊び心で溢れている。
建物は古いが、
中はそれなりに手が入れられていて、
快適に過ごすことが出来た。

二泊したが、周りに何もあるわけではない。
折しもの雪で、散歩道も歩けない。
ということで、湯に入ってはゴロ、
食べてはゴロ、という時間を過ごした。
なにしろ、まだ若いご夫婦の、
熱いおもてなしのお陰で、
食事の量が多い。
ほら、朝食だってこのボリューム。

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おかげて、また、
お腹がポテッと。

さて、ご主人のおっしゃることには、
この温泉は、ラジウムを含んでいるので、
蒸気を浴びるといいのだそうだ。

そして、ここの湯の源泉の温度は30度。
そこで、少し加熱して、
かけ流しにしているのだそうだ。
お湯の温度を保つために、
入ってあとには、湯船にフタをしていただきたいとのこと。
なるほど。

そして、ご主人が言うには、
湯の温度を、どのくらいにすればいいのかが、
難しいのだそうだ。

熱い湯が好きな方もいる、
ぬるい湯が好きな方もいる。
いや、それならばいいが、
湯は熱くなければいけない!
とんでもない、ぬるくなくてはいけない!
という人がいて、
困ることがあるそうだ。

季節の気温によっても、
感じ方が変わったりする。
だから、湯の温度には気を使っているそうだ。

そう云えば、
私も、ずいぶん熱い温泉に入ったり、
一時間も入っていられるような、
ぬるい温泉に入ったりしたなあ。
今は、ともすれば、
自分の価値観を押し付ける人も多いから、
そんな湯の温度にも、
気を使わなければいけないのだね。

私は、
熱い湯には熱いなりに、
ぬるい湯にはぬるいなりに楽めるけどね。

で、
来年は、どこの温泉にいこうかな。
などと、考えながら、
この一年を頑張るのだ。トホ。

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年越しそばから正月営業、毎年ながら、大きな山だった。ふう。

そばを打つというのは、
つくづく体力勝負なのだなあ、
と、年をとるにつれて思うようになってしまった。

そば粉屋さんとも話したのだが、
いったい一人で、
どれだけのそばが1日で打てるものなのだろうか。
聞くところによると、
千人分ぐらいのそばを打つ人がいるのだそうだ。
ほとんど徹夜でね。

私なんぞは、二日をかけて、
500人分も打つのが精一杯。
それでも、一回一回、
息が弾むぐらい、
しっかりと捏ね上げて打っている。

ということで、
みなさんから、年越しそばのご用命をいただき、
ありがとうございます。
どうしても、作る数に限りがあるので、
お受けできなかった方々には、
大変に申し訳ございません。

そうして、休む間も無く、
怒涛の正月営業、成人の日の連休と続いたので、
背中から腰にかけて強張って、
やや、前かがみになって歩くようになってしまった。
ご常連のお客様から
「おや、腰にきているねぇ。」
などと、ご心配をいただいた。
面目ない次第だ。

それでも、寝る前とそば打ち前に、
少し時間をかけてストレッチをしているので、
以前ほどの、強い腰の痛みは感じられなかった。
ここ三年ほど続けている、
腹筋の強化運動も、効果があったのかもしれない。
脊柱管狭窄症の、独特の痺れも、
あまり感じなくなっているのが幸いだ。

何しろ、かんだたは貧乏なのだから、
とても、最新の製麺機は買うことができないのだ。
ドラえもんのような、ネコ型ロボットに、
そばを打ってもらう訳にもいかない。
だから、仕方がなく、手で打ち続けるほかはない。

自分の体と、うまく付き合っていかなければね。
何より、数を打つことより、
もっと、質を上げることを考えよう。

、、、、楽をすることもね。

 

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クリスマスは、どこへ行ったの?

さて、今日はクリスマス。
そば屋には、まったく縁のない日だ。

洋食屋さん(古い!)であれば、
クリスマスパーティなどとうたって、
お客さんを呼ぶことが出来ることだろう。
ケーキ屋さんは書き入れ時にちがいない。
でも、そば屋では、
いくら「クリスマスそば」、
「サンタのトナカイ南蛮そば」なんぞを作ったところで、
お客さんは寄ってこないだろう。

ということで、いつもどおりの静かな営業。

でも、あまり外に出歩かない私でも感じること。
世の中、クリスマスの様子が、
だいぶ変わってきているようだ。

10年ほど前までは、
スーパーなどは、
クリスマスの特別コーナーを作って、
ツリーの飾りやお菓子なぞを売っていた。
ケーキの売り込みが、どこでも盛んだった。
ブティックのウインドウなんぞも、
クリスマス気分を盛り上げるディスプレイがされていた。
昭和の時代には、
赤い帽子をかぶった、
酔っぱらいおじさんたちが、
街を闊歩、いや千鳥足をしていたっけ。

それがねえ、
最近は、とても静かに感じる。

やはり、
信仰の裏打ちのないお祭り騒ぎ。
堅実な時代には、
それなりの規模となったのだろうか。

それに引き替え、
おせち料理の売り込みの激しいこと。
世間の価値観が、
そちらに移っていったのだろうか。

そば屋にとって、
一番の山場になるのが、
大晦日に召し上がっていただく「年越しそば」。
こちらの方は、
時代の影響を受けずに、
相変わらずのご贔屓をいただいている。
ありがたいことだ。

今はその準備に追われている。
そして、それに続く正月営業のためにも、
体力を蓄えなくては。

クリスマスなんて、
私には縁のないお祭りだと、
そっぽを向いてきたけれど、
それが静かなのは、
逆にさびしいなあ。
かつての長野の繁華街、
権堂のアーケードも、
通り抜ける風が冷たい。

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小判をくずして新そばを食べる江戸っ子の粋

さて、各地の新そばも出尽くして、
そばも、どっしりと、落ち着いた味となってきた。

今は玄そばの保存環境も良くなったので、
夏を越した古そばも、それほど、捨てたものではない。
むしろ、甘みが強く、味がしっかりとしているので、
下手に青みがかった新そばより、
味わい深かったりする。
だから、「新そば」の有り難さが、あまり、
感ぜられない時代になってしまったのかもしれない。

しかし、何と言っても、新そばの若々しさにはかなわない。
特に、食感はまったく違うもの。
毎日そばを扱っている者としては、
切り替わるときには、
その差を大きく感じる。

保存の設備がなかった時代には、
梅雨を超えると、そばは風味が落ちた。
子供の頃のそばを覚えているが、
色が赤っぽくなり、独特の蒸れたような臭いを持つことがあった。

だから、昔の人は、
新そばを心待ちにしていたのだね。


〜〜 新そばに小判をくずすひとさかり 〜

 
江戸の川柳に、こんな句があった。
新そばを食べるために、小判をくずした、
つまり、小銭に換えた、それが一悶着、というわけだ。

江戸時代には、今と違って、
ちょっと複雑な貨幣制度になっていた。
小判などの金(きん)と、銀の貨幣、
そして銅銭といわれるものが、
それぞれの別のレートがあって、
その商売にあった貨幣が使われていたという。

だから、そば屋でそばを食べて、
一両小判を出したところで、お釣りなんぞ出てこない。
あらかじめ両替商というところで、
文(もん)という銅貨に換えて置かなければ、
そばを食べられないことになる。

さて、小判一枚で、つまり一両で、
そばがどのくらい食べられたかというと、
これが、なかなか。
江戸時代後期には、一両は6500文に交換されていたという。
その頃のそばは、一枚16文と決められていた。
ということは、、、

なんと、400枚ものそばが食べられることになる。
もっとも、その頃のそばの盛りは、
今よりずっと少なかったらしい。
それでも、一回三枚ずつ食べても、
百回以上は、そば屋に行けることになる。

小判一両って、価値があったのだねぇ。

おそらく、普通の町民は、小判なんぞ待っていなかったろう。
親の遺産か、なにやらの報奨で手に入れた、
虎の子の小判。
それを、新そば食べるためにくずしてしまおうというのだ。
さすがに江戸っ子、粋だねえ。

当時の人には、
「新そば」という言葉は、
それほどの価値があったということなのだろう。

それに引き換え今は、、、
なんて野暮な話はやめておこう。
今なら1万円札でもお釣りが貰えるし、
カードやスマホでも、支払いができる時代。
気楽にそば屋を楽しんでいただけたら、、、と思う次第。

 

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米の一俵は60キロ、玄ソバの一俵は45キロ。

さて、新そばの収穫の時期となり、
そば粉屋さんの倉庫には、
各地から集められた玄ソバが、
高く積まれていることだろう。

昔は一俵(いっぴょう)ごとに麻の袋に入れられていたが、
今はほとんどが紙製の袋だ。
玄ソバの取引単位は45キロで、
これがそばの一俵と呼ばれる。

これが製粉されると、
半分の22キロになる。
そして、そば粉の方の出荷単位となっている。

今では、製粉率は60パーセント強と言われているが、
昔は、せいぜい50パーセントぐらいだったのかもしれない。
とにかく、それが、取引の単位として残っているのだ。

ちなみに、米の一俵は60キロ。
米俵(こめだわら)に入る量だったのだね。

私のこどもの頃には、米屋さんの店頭に、
米の入った俵が積んであるのを見かけた。
その俵の蓋(さんだらぼっち)を貰ってきて、
犬小屋の敷物にしたりしたっけ。

そうして、米屋さんは、その俵を、
重そうに担いで奥へ運んで行った。
そう、一俵とは、
人が担ぐことができる大きさ、重さの単位だったのだね。

昔のそういう習慣が、
今でも取引の単位として残っているのだ。
ちなみに、小麦や豆の一俵は、
米と同じ60キロ、
じゃがいもや大麦は50キロ、
木炭は15キロなのだそうだ。

確かめたことはないが、
灯油が18リットル単位で売られているのも、
昔の単位、一斗の名残かもしれないね。

でも、60キロのもの米を担ぐのは、
大変なことだ。
っで、農家の人に聞いてみたら、
今では30キロの紙袋を使うのだそうだ。
それでも、車への積み込み作業などは、
骨が折れるという。

確かに、私も、22キロのそば粉の袋を、
よいしょ!と、掛け声をかけなければ、
持ち上げられなくなっている。
そば粉屋さんは、軽々と運んでくるのだけれどね。

歳とは、言われたくないのだが、、。

 

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標高2450メートルの山小屋で、美味しい、ホタルイカをいただいた。

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久々にいただいたのは、
ホタルイカの沖漬け。
ついつい、私の苦手な、
お酒も進んでしまう。

ホタルイカの沖漬けは、
ともすれば臭みが出てしまうものだが、
ここのは美味しい。
土産物屋で売られている瓶詰は、
まったく別のものと考えて方がいいようだ。

こういう珍味を食べられるのは、
さすが富山県ならではのこと。
しかも、私達がいるのは、
海辺の食堂ではない。
標高2,450メートルにある、
立山は室堂にある山小屋なのだ。

観光客のあふれかえるバスターミナルから、
ゴツゴツとした岩の歩道を、
20分ほど歩かないとたどり着けない、
「みくりが池温泉」だ。

限られた設備の中で、
観光地にありがちな、
安易な食べ物を出さない姿勢に乾杯、、、
ではない、共感するところ。

なぜ、立山に行ったかといえば、
地元の観光会社の日帰りツアーに参加したのだ。
アルペンルートの室堂から、
湿原の弥陀ヶ原までを、
紅葉を楽しみながら歩いてみようと思ったのだ。

ところが、ところが、
案の定というか、
日頃の行いの悪い私達にこの天気。

 

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仕方がないので、
山小屋で、飲み物研究会を開いたわけだ。

しかし、
この天気が幸いすることもある。
以前に来たときには見ることができなかった、
この鳥に会うことができたのだ。

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そう、天然記念物の雷鳥。
こういう天気の悪い時に、
出てくることが多いという。

平気で人のそばまで寄ってきて、
挙句の果てに、杭の上に登って、
写真のポーズまでとってくれるのだから。

そんなことで、
忙しい中、思い切って行った日帰りツアーだったが、
なかなかの収穫があった。
往復のバスの中では、
日頃の寝不足解消とばかり、
寝てばかりいたが。

いや、一番書きたかったのは、
この観光会社のこと。
小さな会社なのだが、
こういうバスツアーをたくさん企画している。
それがねえ、なかなか、きめ細やかなサービスをしているのだ。

詳しくは書かないが、
なるほど、リピーターの多いことが頷ける。
特に女性には人気のようだ。
つい先日も、
この時に参加者でとった写真が送られてきた。

こういう気の回ることが、
今の商売に、大切なこと。
お客様の気持に沿った気遣いを、
何気なくすること、
そういう積み重ねが大切なのだね。

と、ちっとも気の回らない、
私達も、少しは考えたの、、、、、、だ。

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今年は豊作の気配。もちろんそばの話。

この夏は、忙しさに追われてしまった。
とにかく、眠る時間を確保するのに精一杯。
気がつけば、二ヶ月もブログを書かなかった。
皆さん、申し訳ありません。

そんなことをしているうちに、
はや、新そばの季節。
店でも、すでに北海道北部産の粉に切り替わった。

今年は北海道では、大きな天候の乱れもなく、
これから内陸部のそばが届くにつれて、
甘みも香りも強いものになっていくことだろう。

さて、昨年は壊滅的な不作だった長野県でも、
今年は豊作が期待されている。
今月の始めに行った八ヶ岳の麓でも、
見かけたそば畑では、
そばの背がよく延び、分けつが多かった。
まだ、油断は出来ないが、
来月の刈り取りまでに、大雨でもない限り、
かなりの収量が見込まれそうだ。

どうしても、気候に左右されるのが、
農作物の宿命。
豊作の時は豊作の時なりに、
不作の時は不作の時なりに、
業界の人たちは、そばの質を保つべく、
努力をされているのだ。

去年は、信州産が少なかったので、
だいぶ、ニセものが出回った、、、
との噂もちらほら。

とにかく今年は、そんな心配はなさそうだ。
きっと、質のいいそばが出回ることだろう。
これからの季節、皆さんお楽しみに。

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気に入ったそば粉を、自分で挽ければ、最高なのだけれど、、。

さて、店で使うそば粉というのは、
まさに、店の命というべきもので、
このそば粉の選び方一つで、
店の印象は大きく変わってしまうこともある。

なんていうと、
また、おおげさな〜〜、
などと言われるかもしれないが、
とても、とても、
簡単に言い表せられるものでもない。

う〜ん、
まあ、大風呂敷に包まれた気分でお読みください。

もちろん、そば屋をやっているので、
色々なところから、
そば粉のサンプルをいただくし、
また、あえて、手に入れることもある。

それぞれに、微妙な違いがあって、
面白いのだよね。
製粉屋さんによって、
それぞれ印象の違うソバが出来上がるし、
味はともかく、とにかく、
食感の違いは著しい。

同じ玄そばから作られたそば粉でも、
そばに打ってみると、
ずいぶんと変わりがある。
だから、自分の店にあったそば粉を、
選び続けることは、
そば屋にとって、とても大切なことだ。

そばを粉にするだけなら、
簡単なことと思われていたりするが、
このやり方で、差が出るのだね。

製粉屋さんも、
いろいろと工夫をして、
そば粉を作っている。
だけど、その会社によって、
作り方に、わずかながら、
違いがあるのだよね。
そんな特徴が出る。

だから、
地元のそば屋さんに入ったりすると、
すぐに、あそこの製粉屋さんの粉を使っているなあ、
と、勘ぐったりしてしまうのが、
我ながら、面白くなかったりする。

それに引き換え、
自家製粉なら、
つまり、自分で石臼を用意してそばを挽けば、
思う通りの粉が出来上がるのではないかと、
考えていた時期もあった。

幸いに、
全国の製粉屋さんの機械を作る会社が、
長野にあるので、
事情を話して、試しに、
石臼を使って、そば粉を挽かせていただいた。

製粉屋さんから、
丸抜きといわれる、
皮を剥いたそばの実を持ってきて、
一尺一寸(約33センチ)の小さな石臼で、
グリグリと挽いてみた。
もっとも、電動だから、私は見ているだけ。

なるほど、
石臼の間から、
粉になったそばが挽きだされ、
下のフルイに落ちていく。
それを、私は見ているだけ。

で、引き終わった粉を、
店に帰ってそばに打ってみた。
わあい、挽きたてのそば粉だぞう。

ところがねえ。
ところがねえ。
ところが、、、、、。

挽きたてのそばの香りはするのだが、
なんとも食感が悪いのだ。
茹でても、ふわっと膨らまない。
甘みがいまいち。
なにやら、ねばりっこいような、
舌に残るような風味がある。

なぜだろう。

その後で、
その機械会社の人に正直に話したら、
その技師さんも正直に言う。
「そうでしょうねえ。」

その技師さんの言うことには、
まず、次の3つのポイントがあるという。

まず、そばの実は、
皮を剥いた途端に劣化するのだそうだ。
だから、製粉会社では、
皮を剥いたらすぐに粉にしている。

次に、
どんなにいい石臼でも、
癖があり、
その癖を治すには時間が掛かるとのこと。
いい粉を挽くには、
最低でも三個の石臼を使うことによって、
その癖の影響を取り除く事ができるという。

思わず、石臼が何十台も並んでいる、
製粉屋さんの光景を思い出してしまった。

そして、
石臼が小さすぎるとのこと。
つまり、
一尺一寸の石臼では、
挽いたときのムラが大きいと言うのだ。

この技師さん、
実際は石臼を売っていながら、
まったく商売っ気がないんだね。
その後も、シフターの大切さや、
分子間引力などの話も伺い、
とても参考になったというか、
私たちの想像とは違う次元で、
製粉の機械が作られていることを実感したのだ。

いいそば粉を作ること、
世の中には、それを考えながら、
努力している人達もいるのだ。
思い込みだけで、入れる世界ではない。

で、いいそば粉って、、、、
なんなの。

そんな話は、
またいつか。
いるになるやら、、、、。

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