○「困ったなあ。」
そば屋の太兵衛さんが渋い顔をしている。
「困ったなあ。」
やはりそば屋仲間の弥太郎さんも、
同じように眉間にしわを寄せて、相づちを打っている。
「どうしたものだろう。」
がらんとした店の中を見回しながら、
太兵衛さんが言うと、
「さあ、どうしたものだろう。」
と、弥太郎さんも、生気のない顔で答える。
隣り合わせで張り合って、
そば屋をやっていた二人だが、
今日は顔を突き合わせて相談している。
それほど、深刻な事態が起こっているわけだ。
場所は江戸、
時は安永二年(1773)のことだから、
今から240年前のお話となる。
二軒のそば屋が張り合っていたので、
かえって江戸中の評判となり、
客の切れることのなかった二人の店だった。
それが、
どうしたことか、両方の店ともに、
客がまったく来なくなってしまったのだ。
天気の加減かなと、はじめは思っていたのだが、
それが十日も続くと、そうも言っていられない。
奉公人たちは、手持ち無沙汰で、
うろうろしているばかりだ。
○そこへ、ひょいと入ってきたのが、
近くの小間物屋のご隠居。
「いやあ、ここも閑だねえ。
いまは、どこのそば屋も、まったく人の気配がないねえ。」
そういって、そばを頼んで手繰りあげる。
「まったく、ひどい噂が立っちまったものだ。
私なんざ、いつ死んでも構わないから、
こうしてそばを食べていられるがね。」
と、ご隠居さん。
そう、江戸の町に、
そばには毒があるとの噂が立ってしまったのだ。
それは、こんなものだ。
ーー綿の実を作った跡の畑で採れたそばに毒がある。
ーーそれを食べて死んだ人がいる。
ーー毒のあるのは、綿畑で作られてそばだが、それかどうかは、俺たちには判らない。
ーーだから、そばは食べない方がいい。
この噂は町中に広まり、
そばは、まったく食べられなくなってしまったのだ。
「それではこうしましょうか。」
太兵衛さんが切り出す。
「表に『綿畑で採れたそばは使っておりません』と、
張り紙を出しましょうか。」
弥太郎さんもそれがいい、ということで、
二店揃って、店先に張り紙をだした。
それでも、一向に効き目はなかったという。
ところが、「人の噂も七十五日」という言葉がある。
太兵衛さんと弥太郎さんが、「困った、困った。」を繰り返しているうちに、
ぼちぼちと、そばを食べる人が出てきた。
そして、三ヵ月もすると、
元の通りの繁盛となった。
ああ、よかったと、
胸を撫で下ろしたそば屋の太兵衛さんと弥太郎さん。
根拠のない噂は、
やっぱり、根を張らないものなのだ。
ところが、この噂、このままでは終わらなかったのだ、、、、。
○「困ったなあ。」
太兵衛さんの孫の小兵衛さんが渋い顔をしている。
「困ったなあ。」
そば屋仲間の、弥太郎さんの孫の弥三郎さんも、
眉間にしわを寄せている。
時は文化十年(1813)。
そば屋が、あらぬ噂に惑わされたその時から、
もう40年も経っている。
隣同士で張り合っていた二軒のそば屋は、
双方とも孫の代となっていた。
そして、またもや、
そばに毒があるという噂が、
江戸の町に広まったのだ。
そして、そば屋に客が寄り付かなくなった。
今度の噂はこんなものだ。
ーー田螺(たにし)の肥やしで栽培したそばに大毒がある。
ーーそのそばを食べて死んだ人が何人もいる。
ーーどれが田螺の肥やしで作ったそばか判らない。
ーーだから、そばは食べない方がいい。
「田螺というのは、田んぼにいるものだなあ。
田で作られたそばは、
山の畑で作られたそばに比べて味が落ちる。
それをこじつけて、誰かがこんな噂を流したのではないかね。」
太兵衛さんは弥三郎さんにそう言う。
「そうだ、そうだ、そうに違いない。
でも、困ったものだ。」
○そこへ、ひょいと入ってきたのが、
近くの小間物屋のご隠居。
「いやあ、ここも閑だねえ。
いまは、どこのそば屋も、まったく人の気配がないねえ。」
そう言って、そばを頼んで手繰りあげる。
「そう言えば、じい様が言っていたっけ。
昔も、そばに毒があるという噂が流れて、
そば屋さんは大いに困ったそうだ。
ところが、三ヶ月もすれば、そんな噂も忘れられて、
元に戻ったって。」
そのご隠居の言葉に、
顔を見合わせる小兵衛と弥三郎。
そう、そんな話を、
若い頃にじい様から聞いたことがある。
それではと、
「田螺(たにし)の肥やしで使ったそばは、
扱っておりません。」
と張り紙を出して、じっと我慢することにした。
ところが、
この時は、
二ヶ月経っても、
三ヶ月経っても、
そば屋に客は戻らなかった。
ついには、奉公人に暇を出し、
店仕舞いしたり、休業するそば屋が出始めたのだ。
これには奉行所も動き出した。
江戸の有名な医者に、
そばに毒がある根拠を問いただしたが、
医者は返事が出来なかったそうだ。
どのような内容か判らないが、
奉行所が「町触」を出したというから、
お上も放っておけなかったのだろう。
しかし、やっぱり人の噂である。
やがて「新そば」の張り紙がかかる頃になって、
ぽつりぽつりと、お客の姿が見えるようになった。
年の暮れになると、
威勢のいい江戸っ子の啖呵(たんか)が、
店の中を飛び回るようになった。
その姿を見て、
ほっと、胸を撫で下ろした小兵衛と弥三郎。
年が明ければ、
前の年の噂はどこへやら、
すっかり、元の通り、そば屋は繁盛したという。
この噂の真相は、
はっきりと判らないまま、
どこかへ消えてしまったようだ。
○情報の少なかった江戸時代、
今から200年前ごろは、
こんな噂で、そば屋は苦労をしていたのだねえ。
情報の発達した今の世の中では、
こんなことは、
まさか、、、、、、、
起こりませんよね?
いや、そうとも言えないかも。
どんな時でも、
胸を張って安心だといえるような、
そんな「そば」を作っていかなくては。
そばコラム