●都会の真ん中の、
とあるビルの階段を下りたところにある、
しゃれた内装のそば店。
夜ともなると、
間接照明で浮き上がる店内にはジャズが流れ、
落ち着いた雰囲気の中で、
それなりの身なりの人たちが、
そばを楽しんでいる。
おりしも、その一角の、
一番奥まったテーブル席では、
背広姿の若い男Aと、
洗練されたスーツを着た女Bが、注文したそばが、
出てくるのを待っている。
この二人、
夫婦というほどの、あきらめの中に落ち着いた関係ではない。
婚約者という、幻想に包まれた仲でもない。
恋人という、非経済的な関係の、
なおかつ、その初心者同士のようだ。
●店員に案内されたときから、
どうも、女Bの機嫌は悪い。
「せっかくの私の誕生日なのに、
どうしてまたそば屋なの。
そのうえ、これから会社に戻って、
残業があるなんて。
ひどいわ〜。ひどいわ〜。」
ひたすら謝る男A。
「私だって、責任のある仕事をしているから、
仕事の大切なことは分かるけれど、
少しは私のことを考えてもらいたいわ。」
ひたすら謝る男A。
「この前だって、、、、
(あまり意味の無いことが多いので省略)
なのよ。」
ここで男Aの反撃。
「いや、だから、ここのそば屋を予約しておいんだ。
ここのそば屋は人気で、この時間には、
いつも満席なんだよ。
だから、仕事の合間でも、
君にここのそばを食べさせたいと思ってね。」
女B、冷たく男Aを見る。
「あなたが食べたかっただけでしょう。」
●ここで店員がそばのせいろを持って登場。
「お待たせしました。
本日のおそばは、長野県の信更(しんこう)の産です。」
女Bは言葉を止めない。
「だからね、少しは私の話も聞いて欲しいわ。
(グチ、グチ、グチ。)」
男A。
「とにかく、その話は、そばを食べてからにしよう。
そばは、茹でたてが一番おいしいのだから。」
女B(キッとした表情で)。
「私の話より、そばの方が大事なの?」
男A
「いや、まずはそばを食べてから。
その話は、また後から聞くよ。
ほら、見てごらん、信更のそばだって、
いい艶をしている。」
女B
「私の話は途中なのよ。
せめて、最後まで聞いてよ。」
男A(そばに箸をかけながら)
「うん、食べながら聞くから。
う〜ん、おいしそうだ。」
ズズーっ、ズズーぅ。
女B(一瞬、そのきれいな栗色の髪が逆立つ)。
「うも〜〜〜お。」
牛が鳴いたか、カエルがひっくり返ったか、
はたまた新興宗教の呪文か。
●女B、すっと席を立ち、
やたら黒光りする大きめのハンドバッグを手に、
足音も荒く立ち去る。
男A、慌てて、立ち上がって、
その後を追いかけようとするが、
左手に持ったそば猪口と、
右手の箸に気付く。
そして、女Bの背中が1.5秒ほどで見えなくなると、
おずおずと席に座り直した。
そのまま5秒ほど固まっていたが、
不意に、思い出したように、
残りのそばをたぐり始める。
ズズーっ、ズズーぅ。
店員が、何も知らずに
そば湯の入った湯桶をおいていく。
男A、食べ終わって、
その湯桶を持ち上げようとしたが、
ふっと気付いてそれをおろす。
周りを一瞬見回すと、
女Bが、手を付けずに立ち去ったせいろを、
空になった自分のと、そっと入れ替える。
そして、そのそばを、たぐる。
ズズーっ、ズズーぅ。
そうして、満足そうな笑みを、
口元から2センチほどのところに浮かべる
男Aなのであった。
その時店内には、
ルイ・アームストロングの
「この素晴らしき世界(What a Wonderful World)」が
流れていた。
ん〜〜ん、全くそば好きってやつはねえ。
そばコラム