●私が若い頃、
そばの評論を読むと、
必ず、夏のそばの悪口が書かれていた。
いわく、
「梅雨を越えたそばは、
臭くて食べられない。」
「夏の暑い季節に、
そばを食べる奴の気が知れない。」
あれあれ、随分なことを言っている。
さらに、こんなことを言う人も。
「まずいそばを出すぐらいなら、
夏から新そばまでの間、
店を閉じてしまうのが、
真っ当なそば屋だ。」
すみません。
「かんだた」は真夏も営業している、
「真っ当でないそば屋」で。
●私の子供の頃、
そば屋では、夏になると、
麦切り(冷や麦)を出していたような記憶がある。
それと一緒にそばを食べると、
確かに、独特の蒸れた匂いを、
子供心に感じたものだ。
夏目漱石の「我輩は猫である」の中でも、
猫の主人が、
そばを取り寄せた友人の迷亭先生に、
こう言っている。
「君、この暑いのにそばは毒だぜ。」
夏の暑い季節は、
あまり、そばを食べるものでは、
なかったようだ。
●ところがどうだろう。
昔の人が言うように、
今でも夏のそばはまずいのだろうか。
少なくとも、
あの独特の蒸れた匂いのするそばを出すところは、
町中のそば屋であろうが、手打ちそば店であろうが、
駅のそばであろうが、観光地のそば屋であろうが、
コンビニのそばだろうが、
まず、見当たらない。
それどころか、熟成された分だけ、
味の濃いおいしさがあるような気がする。
新そばのころが、生意気な高校生とすれば、
夏のそばは、多少世の中を知り始めた、
野心的な好青年というところか。
いや、けっして、脂ぎったおじさんや、
人生を悟って枯れて来たおじいさんではない。
まだまだ、若さの香りのする年頃だ。
夏の季節だって、
しっかりと香りのするそばが食べられるのだ。
なのにどうして、昔の人は、
夏のそばを、あんなに嫌ったのだろう。
●先日、あるところでそばを食べて、
久しぶりに、あの蒸れたような匂いを嗅いだ。
それは、玄そばを水に浸け、芽を出したところを、
粉にしたそば。
それはそれで、なかなか味わいのあるものだった。
でも、あの、子供の頃に嗅いだ、
独特の匂いを思い出させてくれたのだ。
つまり、昔は、夏になると、
芽の出かかったそばを食べさせられていたようだ。
きっと、当時は、玄そばの保管状況が悪く、
梅雨の湿気でそばが芽を出そうと、
動き始めていたのだろう。
それで、風味が変わって、
敬遠されるようになったのかも知れない。
●さて今は、
玄そばの保存もよくなって、
特に、湿気に注意することによって、
夏でも、おいしいそばが食べられるようになった。
といっても、けっして、冷蔵庫のような、
低い温度で、保管するわけではないらしい。
ある程度の温度を、変化のないように保つのだそうだ。
そば粉屋さんの話では、
あまり、温度が低すぎても、そばが眠ってしまい、
かえって風味が落ちるそうだ。
つまり、玄そばが、
眠るでもなく、目覚めるでもなく、
うつらうつらとしている状態で、
保存しておくのがいいらしい。
まあ、業者さんによって、
さまざまな工夫があるようだ。
夏のそばがおいしくなったのは、
厨房の設備の変化も
多少はあるかも知れない。
昔は、今のように冷蔵庫や、
冷水、氷を気軽に使えなかったからね。
そうそう、それに、
大汗をかきながら、
しっかりとしたそばを打っている、
私達職人の力も、、、
ほんの少しは、、、、
ごく微量に、、、、
あっ、関係ないそうだ。
●今でも、「そば通」の方々の中には、
「夏のそばなんか、、、、」と言われる方も、
いらっしゃるようだ。
でも、さまざまな工夫により、
夏だって、おいしいそばが、
食べられるようになったのだ。
夏のそばが「まずい」とは言わせない。
この季節には、この季節なりの、
おいしさがあるのだ。
そういう思いで、
ともすれば気難しい、
夏のそばを、しっかりと打ちたいと思う。
でも、
夏から新そばまで、
店を畳んでしまうという、
「真っ当なそば屋」にも、
う〜ん、惹かれるなあ。
いや、いや、
けっして、サボりたいと言っている訳では、、、、
、、、ありません。
そばコラム