●そばを食べるには

やせた土地でできる大根が辛い

●松尾芭蕉といえば、
江戸時代の有名な人。
そう、俳句を作っていた人だ。

その人が、故郷の伊賀を出て、
信州に旅をした。
その紀行文が「更科紀行」。
今から300年以上も前の話。

旅は、かなり難儀であったようだ。
善光寺にも寄ったらしいが、
その頃は、今の本堂が建てられる、
ちょっと前のことだった。

さて、その中に、こんな句がある。

 ○身にしみて大根からし秋の風

はははっ、
芭蕉さん、ちょうど秋の終わり頃採れる、
長野の地大根の辛さに、
よっぽどまいったらしい。
なかなか、いい句がまとまらないと、
紀行の中でぼやいていながら、
しっかりと、この句を書き留めているのだから。

でも、この辛い大根、
どのようにして食べたのだろうか。
単なるご飯のおかずか。
今でもこの地に伝わる「おしぼりうどん」なのか。
はたまた、そばの薬味として食べたのだろうか。

芭蕉が信濃を旅したのは45歳の時。
東北を旅する「奥の細道」より、
すこし前のことだ。
その壮年期の芭蕉さんが口をつぼめた、
辛い大根って、どのようなもんだったのだろう。

●長野市から少し南に下った、
更級地方。
ここは、今でも、辛み大根の産地だ。

ここで採れる「ネズミ大根」と呼ばれる、
それこそ、ネズミの格好をしたちっぽけな大根を、
すりおろして、そのわずかな汁をぎゅっと絞る。
その、乳白色の汁で、そばやうどんを食べるのが、
昔からの流儀。

これが、ものすごく辛い。

私が長野に来たばかりの頃、
初めてこの汁で、うどんを食べた時、
しばし、固まってしまった。
たかが大根の辛さと、
たかをくくっていたからだ。

唐辛子のひりひりする辛さとは違う。
言わせてもらえば、
頭の皮が、ピンと引っ張られるような辛さなのだ。

おかげで、そばやうどんの味なんぞ、
分かったものではない。
でも、味噌をその汁に溶きながら、
つい、食べ進んでしまうのだ。

この大根、この地方の痩せた土地にしかできないらしい。
ほかの場所で育てても、この、
暴力的ともいえる辛みは、でないのだそうだ。

●信州だけでなく、
地方では、大根の絞り汁に、
味噌を溶いて、そばを食べるのが一般的だったという話。

これならば、わざわざ、出汁をとる手間もない。

雪深い北信濃では、
こんな風に昔から言われてきたという。

「一そば、二こたつ、三そべり」

農作業のできない、
雪に閉じ込められた冬は、
こたつに入り、
辛み大根の汁で味噌を溶いたつゆで、
新そばをすすり、うとうととしているのが、
一番の極楽だったそうだ。

こういう食べ方も、
見直されていいのかもしれない。
もちろん、こたつ付きでね。

●大根は、場所によって、
様々な種類が作られている。
今でこそ、青首大根しか見かけなくなったが、
本来は、その土地にあった大根が育てられていた。
その中に、更級のねずみ大根のような、
辛〜いものも、あるのだね。

そんな大根を使って有名なのは、
「越前おろしそば」。
ここで使われる大根も相当辛いらしい。
一度食べにいってみたいものだ。

「かんだた」の畑でも、
今年は信州地大根を育ててみた。
ねずみ大根ほどではないが、
ちょっとピリ辛。
私の細いそばには、
はたして、合うのだろうか。
ご希望の方はお試しを。

この辛い大根を食べれば、
芭蕉さんのような、
いい俳句がつくれるかなあ。

何気なくこなしている、ものの数え方

●さて、問題です。
 寿司屋で、
 「マグロ、1カン(貫)」
 と頼めば、何個のすしが出てくるのだろう。

 えっ最近は、「皿」でしか数えたことがないって?

 外国人が日本語を学ぶ時に苦労することの一つが、
 ものの数え方だという。

 日本語では、数字の後に、
 それにふさわしい言葉をつけて、
 その数を表す。

 例えば、子供三人、大人五人、
 船が一艘、飛行機一機、
 我が家に一台、となりに五台の自動車。
 犬はワンワン二頭いて、猫は三匹昼寝中。
 ウサギは五羽で跳ね回る。
 花は一輪、木は一本、
 バラを十本で一束にして、六ヶ所に送る。

 それぞれに、ものによって、
 また、その状況によって、
 私たちは、数え言葉を選んでいるのだ。

 紛らわしいことに、
 同じ犬にしても、
 抱きかかえられるような小さなものは、
 「匹」と呼び、
 大きい犬は「頭」と呼ぶ。

 海で泳いでいる魚は「匹」で数えるが、
 魚屋に並ぶと「尾」に変わる。
 イカやカニは「杯」と呼ぶ。

 などなど
 いろいろな決まりがあるのだねえ。

●さて、そば屋の世界では、
 どんな数え方をするのだろうか。
 
 お客さまが、
 「そばを一枚おくれ。」
 といえば、
 もりか、ざるか、冷たい盛ったそば。
 「そばを一杯。」
 といえば、かけか、丼に入ったそば、
 ということになる。
 
 だから、
 「寒かったから、二杯立て続くに食べた。」
 「盛りが少ないから、五枚ぐらいは食べられる。」
 と聞けば、何を食べるのか想像ができる。

 厨房では、
 それぞれの注文を「一丁」と呼ぶらしいが、
 私は、使わないなあ。

 なお、店によっては、
 「一人前」と頼むと、もりが二枚出てきて、
 「一枚」と頼むと、本当に一枚しか出てこない、
 複雑なところもある。

●栽培されたそばの実の「一粒」一粒は、
 収穫されて袋に詰められる。

 そうして「一俵」ごとに出荷される。
 ちなみに、そばの「一俵」は45キロ。
 米の60キロとは、ちょっと違うのだね。
 大麦は50キロ、炭は15キロで「一俵」と呼ぶそうだから、
 人のかつぎやすい大きさで、決まるのかもしれない。

 それが、製粉所に行って、
 粉にされて紙袋に入れられると、
 「一袋(たい)」と呼ばれる。
 そば粉の「一袋」は22キロ。
 どういうわけか、そのような決まりになっている。

 そうして、各店でそばにされて、
 一人前ずつに分けられると、
 「一玉(たま)」と呼ばれたりする。

 そばの麺は「一本」と数え、
 かんだたには、
 「そばは八本ずつ食べる」
 という決まりがある。
 (あまり気にしなくてもいいけれど。)

 乾麺の場合は、それを束ねて、
 「一把(わ)」とか「一束(たば)」とか呼ばれる。
 それが箱に入れば「一箱」、
 袋に入れれば「一袋(ふくろ)」。
 よく、土産物屋の店先で売られているやつだ。

●注文が
 「ビールを一本」といえば瓶ビール、
 「ビールを一杯」と言われれば生ビール。
 箸は「一膳」、床に落として、片方だけだと「一本」。
 おつまみは「一皿」「一品(しな)」。

 店で座る椅子は、
 脚が四本あっても「一脚(きゃく)」、
 テーブルは「一卓(たく)」。
 楊枝は「一本」、紙おしぼりは「一枚」、
 メニューブックは「一冊」または「一部」。

 座敷に上がって脱いだ靴は「一足」、
 上着をかけるハンガーは「一本」。
 壁にかかった絵は「一点」、
 掛け軸だったら「一幅(ふく)」、
 生け花が飾ってあれば「一鉢(はち)」

 帰りに頼むタクシーは「一台」、
 おっと、忘れちゃいけない、傘は「一本」。
 勘定書は「一枚」、
 ええっ、「一通」にするほどツケが溜まっている。
 ということで、「一組」のお客さまが、
 お帰りになった。

 なるほどなあ、
 知らず知らずのうちに、ずいぶんと、
 ものを数える言葉を使い分けているのだ。

●さて、おそばの前に、
 「ちょっと一杯」という方もいらっしゃる。

 この「一杯」というのは、
 不思議な一杯で、
 たとえ、おかわりを重ねようとも、
 いつまでも「一杯」なのだ。

 「そば前に酒を四杯飲んだ。」
 などというのは、
 警察に尋問された時か、
 馬鹿正直な人の日記に書かれるぐらいで、
 たいていは、
 「ちょっと一杯」で済まされる。

 いくら飲んでも「一杯」。
 これも、不思議なものの数え方だなあ。

 ちなみに、寿司屋で
 「マグロ、一貫(かん)」
 と頼むと、老舗の店では二個出てくる。
 ところが、スーパーなどで頼むと一個。
 まぎらわしいなあ。

 本来は、江戸時代の穴あき銭一貫分の大きさで、
 そのままでは、大きくて食べにくいので、
 二つに分けて出したのが、始まりだとか。
 つまり、握り鮨2個で一貫ということ。

 ところが、最近は、手巻き寿司の「巻」や、
 「個」がなまったものとする考えがあり、
 一個のすしをあらわす意味と、
 混同されてきているようだ。
 だから、確認した方が無難。

 ところで、そば屋で、
 「そば、一貫」と頼むと、
 生そばで3.75kg、
 かんだたの場合だと約30人分のそばが、
 どかんと出てくるのでご注意を!

  石臼ゴロゴロ  

◯「そばほど贅沢な食べ物はないですよ。」
そばの製粉の機械を作っている方が、こうおっしゃっている。
「これだけ食べるのに、手がかかる食べ物は、
 まず、他にはないでしょう。」
 
そう、 そば畑から、そば屋のせいろに盛られるまで、
そばは、実にたくさんの手数を掛けられているのだ。

そば屋だって、粉から麺にするまで、
ずいぶんと時間と手間がかかる。
特に、私のような手打ちの場合は、
なおさら体を働かせなければならない。
だけど本当は、その前の仕事、
そばの実から粉にするまでのほうが、
はるかに手間と時間がかかっているのだ。

確かに、製粉屋さんに行けば、
いろいろな機械がゴトゴトブーンと動いている。
そばの実を磨く機械や、石を取り除く装置、
実の大きさを揃える、皮をむく、
そばの実を選別する、実を割る、
臼(うす)で挽く、ふるいに掛ける、
それを混合する、袋に入れる、
実に、たくさんの種類の機械が働いているのだ。

これらの機械を作る方は、
さぞかし、苦労と工夫を重ねてこられたのだろう。
だから、最初の言葉のようになったのだね。

◯さて、今では、臼(うす)で粉を挽く、
そして、その前後の細かい作業を、
すべて、電動式の機械がやってくれている。
でも、そんな機械のなかった時代には、
一体どうしていたのだろう?

人の手で臼を回していたのだね。
(まあ中には、脚で回す人も居たかもしれないが。)

臼は大抵、直径30センチから35センチぐらいの丸い石でできている。
そばをよく挽くことができるように、
かなりの重さがある。
それを、外側に付いている穴に、
木の股を使った棒でひっかけて、
ぐるぐると回すのだ。

これが、ちょっとコツがあり、
その棒を手の中で滑らせるようにして回すのだ。
ぎゅっと握って、力任せに回そうとすると、
棒は穴から外れてしまう。

上の穴から、少しずつ、
皮を剥いたそばの実を入れながら、
臼をゴロゴロと回し続けなければならない。
そうして、少しずつ、
少しずつ、、、、
本当に、情けないぐらい少しずつ、
そばの実が粉になって、上下の石の隙間から落ちてくるのだ。

◯ここ長野あたりでは、
昭和のはじめぐらいまで、
石臼は、嫁入り道具の一つだったという話を聞いたことがある。

信州は、女性が家庭でそば打ちをしていた。
日々の食事だけでなく、
婚礼などのハレの日にもそばが振る舞われ、
その家の主婦が、そばを打つのが当たり前になっていたようだ。

そばを打つには、まず、粉を挽かなければならない。
主婦は長い時間床に座り込んで、
ゴロゴロと、重い石臼を廻して、
家族の分のそば粉を挽いたのだ。

「そばを打つ日は、ばあさんが縁側に座って、
 半日かけて石臼を廻していたっけなあ。」
などと、年配の方が、思い出話をしたりする。
なかには、
「学校から帰ると、粉挽きをやらされて、
 嫌で嫌でたまらなかった。」
などという方も居る。

粉を挽くのは、
女性と子供の役割だったのだね。

○その家に娘が居ると、
その娘は、夜に次の日のそば粉を挽く習慣があったとか。
娘さんも大変だったね。

ところが、娘が夜に、
ため息をつきながら(本当にため息をついたかどうか知らないが)、
石臼を廻しているという話を聞くと、
近所の若い男たちが黙っていない。
機会をうかがっては、
石臼を廻すのを手伝うというのを口実に、
娘のもとに通う男も居たとか。

いつもは退屈な粉挽き仕事も、
二人で、あるいはもっと大勢で、
交代に臼を廻せば、
楽しい時間となったことだろう。

○さて、そばの大消費地であった江戸では、
どのように、そばを粉にしていたのだろう。

ここでは分業がかなり進んでいて、
水車を使って、そばの皮を取る、
専門の業者が居たという。

その業者が、江戸中のそば屋に、
丸抜き、つまり、皮をむいたそばの実を届けるのだ。
当時のそば屋には「臼場」という場所があり、
ここで、専門の職人が、
終日臼を廻して、そば粉を作ったという。

これも大変な仕事だっただろうなあ。

でも、動力の普及により、
そういう仕事も無くなっていったのだ。


○店で若い人に、石臼で挽いたそば粉を使っていると言ったら、
こう言われてしまった。
「臼って、正月のお餅をつく時に使うものでしょう。
 へえ〜、それが石でできているんだ。」

あれっ、何か話が噛み合ないなあ。

もっとも、今の若い方は、
ぐるぐると廻る石臼なんぞ、
自分で廻したことはないし、
見たこともないのかもしれない。

そばの実からそば粉を作ることが、
どんなに大変なことなのかを知っていただくためにも、
どこかで、石臼をゴロゴロと廻すことが、
体験できる場所があるといいな、、、、

、、などと思ったりしている。

寒さにさらせば、そばも人も甘くなる?

●立春を過ぎたとはいえ、
まだまだ、寒い日が続いている。
長野でもこのところ、
最低温度がマイナス5度とかいう日がある。

そんな寒い朝、長野の町でかわされるこんな挨拶。
「いやあ、今朝はかんじたねえ。」
「ああ、かんじたねえ。」

そう、うんと寒いことを、この辺の人は、
「かんじた」というんだね。
これが、同じ長野県でも、松本や諏訪の方へ行くと、
「いやあ、今朝はしみたねえ。」
というように「しみた」と言うそうだ。
場所によって、そんな寒さの感覚が微妙に違うのかもしれない。
そういえば、北海道の人は、
「しばれる」と言うとか。

長野県では、この寒さを利用して、
寒天作りや凍り豆腐が作られて来た。
今では工場生産も多くなったが、
未だに、天然の寒さを使った寒天作りは続いている。

そうして、そばも、この寒さを使って加工されたりしているのだ。

●長野市からさらに北へ行った新潟県境の信濃町。
ここは豪雪地帯で、なおかつ、そばの産地として有名なところ。
ここで、寒さを利用した「凍りそば」が作られている。

冬の、うんと「かんじる」夜にそばを打ち、
茹で上がったそばを、一口大の輪にまとめる。
それをざるの上に並べて屋外に出し、
外気に当てて凍らせる。

その後、それを日陰に保存し、
解凍と凍結を繰り返させながら乾燥させていく。
そお、即席ラーメンなどの、フリーズドライと同じ製法。
でも、自然に乾燥させるには、一ヶ月から二ヶ月かかるそうだ。

そうして出来た「凍りそば」は、
そのまま保存できるから、いつでも使うことが出来る。
そうして、椀に入れて、熱いだし汁を注ぐだけで、
直ぐに、そばが食べられるのだ。
まさに、インスタント!!!

この「凍りそば」は、
江戸時代の終わり頃から作り始められたらしい。
戦後は作る人がいなくなったが、二十年位前から、
地元のグループが復活させて生産されているとの話。
手作りのためと、冬の、ごく寒い季節にしか作れないので、
売られているのは、ごくわずかとのこと。
機会があればお試しあれ。

●また、信州の冷たい川の水にそばを浸して作る、
「寒ざらし」そばも、復活して作られ始めた。

これは、寒中の川の水の中に、
玄そばを放り込んで、
数日間さらしておくもの。
その後、水から取り出し、
乾燥させて保存する。

この玄そばを使って作った「さらしな粉」は、
夏になっても風味の落ちない最上品とされ、
江戸時代には、信濃から将軍に献上されたそうだ。

このそばも、長らく作られていなかったが、
最近になって研究するグループがいくつか出来て、
夏の期間限定で、販売されているらしい。
八ヶ岳の麓のグループは、
今年は900キロの玄そばを仕込んだと、
新聞に報じられていた。

何でも、寒さにあたるために、
甘さがぐっと増すのだと言う。

●そう、野菜というものは、
寒さの中で保存すると、
甘さが増すと言われている。
だから、近頃は、雪の中に保存した、
キャベツやニンジンが売られている。
このニンジンを食べたことがあるけれど、
とても甘いのだ。

だから、そば粉も、雪の中に置いたらどうだ、、、
と、信濃町にあるそば粉屋さんが考えた。
そこで、雪の中に玄そばを麻袋ごと積み上げて、
雪に埋もれさせた。
何でも、今年は大雪で、
そばがすっかり雪の下になってしまったそうだ。
それを掘り出して、粉にして、
やはり「寒ざらしそば」として、売り出している。
試したけれど、どういうわけか、
しっとりと、滑らかな感触のそばに仕上がる。
不思議なものだ。

●信州の厳しい冬の寒さも、
このように生かすことが出来るのだねえ。
ここまでくれば、春ももう少し待てばやってくる。
でも、人間も、
寒い寒いと言って、家の中に閉じこもっていないで、
寒さにあたった方が、
少しは、味が出てくるのかなあ。
「寒ざらし人間」なんてね。

どちらにしろ、この寒い季節が、
そばの一番おいしい季節といわれている。
秋に収穫されたそばが落ち着いて、
甘みが乗ってくる時期なのだ。
寒さの中を、
ぜひ、そば屋に足をお運びを。

夏のそばを「まずい」とはいわせない

●私が若い頃、
そばの評論を読むと、
必ず、夏のそばの悪口が書かれていた。

いわく、
「梅雨を越えたそばは、
 臭くて食べられない。」
「夏の暑い季節に、
 そばを食べる奴の気が知れない。」

あれあれ、随分なことを言っている。
さらに、こんなことを言う人も。

「まずいそばを出すぐらいなら、
 夏から新そばまでの間、
 店を閉じてしまうのが、
 真っ当なそば屋だ。」

すみません。
「かんだた」は真夏も営業している、
「真っ当でないそば屋」で。

●私の子供の頃、
そば屋では、夏になると、
麦切り(冷や麦)を出していたような記憶がある。
それと一緒にそばを食べると、
確かに、独特の蒸れた匂いを、
子供心に感じたものだ。

夏目漱石の「我輩は猫である」の中でも、
猫の主人が、
そばを取り寄せた友人の迷亭先生に、
こう言っている。

「君、この暑いのにそばは毒だぜ。」

夏の暑い季節は、
あまり、そばを食べるものでは、
なかったようだ。

●ところがどうだろう。
昔の人が言うように、
今でも夏のそばはまずいのだろうか。

少なくとも、
あの独特の蒸れた匂いのするそばを出すところは、
町中のそば屋であろうが、手打ちそば店であろうが、
駅のそばであろうが、観光地のそば屋であろうが、
コンビニのそばだろうが、
まず、見当たらない。

それどころか、熟成された分だけ、
味の濃いおいしさがあるような気がする。
新そばのころが、生意気な高校生とすれば、
夏のそばは、多少世の中を知り始めた、
野心的な好青年というところか。

いや、けっして、脂ぎったおじさんや、
人生を悟って枯れて来たおじいさんではない。
まだまだ、若さの香りのする年頃だ。

夏の季節だって、
しっかりと香りのするそばが食べられるのだ。
なのにどうして、昔の人は、
夏のそばを、あんなに嫌ったのだろう。

●先日、あるところでそばを食べて、
久しぶりに、あの蒸れたような匂いを嗅いだ。
それは、玄そばを水に浸け、芽を出したところを、
粉にしたそば。
それはそれで、なかなか味わいのあるものだった。

でも、あの、子供の頃に嗅いだ、
独特の匂いを思い出させてくれたのだ。

つまり、昔は、夏になると、
芽の出かかったそばを食べさせられていたようだ。

きっと、当時は、玄そばの保管状況が悪く、
梅雨の湿気でそばが芽を出そうと、
動き始めていたのだろう。
それで、風味が変わって、
敬遠されるようになったのかも知れない。

●さて今は、
玄そばの保存もよくなって、
特に、湿気に注意することによって、
夏でも、おいしいそばが食べられるようになった。

といっても、けっして、冷蔵庫のような、
低い温度で、保管するわけではないらしい。
ある程度の温度を、変化のないように保つのだそうだ。

そば粉屋さんの話では、
あまり、温度が低すぎても、そばが眠ってしまい、
かえって風味が落ちるそうだ。
つまり、玄そばが、
眠るでもなく、目覚めるでもなく、
うつらうつらとしている状態で、
保存しておくのがいいらしい。

まあ、業者さんによって、
さまざまな工夫があるようだ。

夏のそばがおいしくなったのは、
厨房の設備の変化も
多少はあるかも知れない。
昔は、今のように冷蔵庫や、
冷水、氷を気軽に使えなかったからね。

そうそう、それに、
大汗をかきながら、
しっかりとしたそばを打っている、
私達職人の力も、、、
ほんの少しは、、、、
ごく微量に、、、、
あっ、関係ないそうだ。

●今でも、「そば通」の方々の中には、
「夏のそばなんか、、、、」と言われる方も、
いらっしゃるようだ。
でも、さまざまな工夫により、
夏だって、おいしいそばが、
食べられるようになったのだ。

夏のそばが「まずい」とは言わせない。
この季節には、この季節なりの、
おいしさがあるのだ。

そういう思いで、
ともすれば気難しい、
夏のそばを、しっかりと打ちたいと思う。

でも、
夏から新そばまで、
店を畳んでしまうという、
「真っ当なそば屋」にも、
う〜ん、惹かれるなあ。
いや、いや、
けっして、サボりたいと言っている訳では、、、、
、、、ありません。