●そば屋の話

「まごつき」と「おしな湯」

●そばというのは、
提供するのに人手のかかる食べ物。
ちょっと、大きなそば屋さんに行くと、
たくさんの人が、店の中で働いている。

それぞれの人に、仕事の分担があって、
スムーズに、そばが作られ、
お客さんの元に運ばれるように、
上手に配置されている。

今でこそ、パートやアルバイトの人が、
よく、教え込まれて働いているが、
昔は、そば屋には、厳しい職制があったという。
つまり、経験や技術によって、
仕事の役割が決められ、
それぞれに、呼び名があったのだ。

子供の頃、近所にあったそば屋でも、
驚くほどの大勢の人たちが働いていた。
そば屋で働くには、
長い間かかって、それぞれの仕事を覚え、
経験を積んでいかなければいけなかったのだね。

今でこそ、
従業員を多く抱える店は少なくなったが、
老舗といわれる店には、
まだ、そういう職制が残っているところがあるようだ。

●そば屋に入って、
まず、対応してくれるのが「花番」さん。
要するにそば屋のホール係だ。
でも、そば屋では「仲居」さんとは呼ばないし、
「お運びさん」とも「ウエイトレス」とも呼ばない。
そば屋独特の言い回しかもしれない。

「花番」は、名前の通り、
そばに花を咲かせてくれるので、
きれいな女性が多い、、、、
というより、経験が豊富な方が多いようで。

これは、店の入り口を守っている人、
つまり「端(はな)」を担当するかららしい。
たいていは女性が担当するので、
「花」という字を当てたとか。

この花番が、厨房に注文を通し、
できたそばを客に運ぶ。
サービスを重要視する今の時代には、
花番さんの仕事ぶりで、
店の印象まで変わってしまう、
大切な役割。

●さて、厨房の中で、
どしんと、真ん中になって動くのが、
「釜前」という仕事。
これは、かなり経験を積んだ職人が行う。

昔は、釜の火加減まで、
薪で調整しなければならなかったので、
大変に難しい仕事だった。
ワンタッチで点火できるガス釜になった今でも、
湯の濃度や、そばの状態を見極めて、
いつも同じような状態に茹であげる技術が必要。

いや、ただ、茹でるだけではない。
常に、店のお客の流れを読み、
天ぷらなどの他の作業の流れを予想し、
タイミングよくそばを茹であげるのだ。

老舗のそば屋で「釜前」をやっていた人の話では、
注文を受けた時点で、
客席のすべての状況が、
頭に浮かんで来るのだそうだ。
伝票を使わず、一度に来る十件以上の注文を、
間違いなくこなせる能力がなければならない、との話。

私なんぞは、
足元にも及びません、、、。

●天ぷらを揚げたり、
種物を作ったりするのが「中台(なかだい)」の仕事。

そば屋の種物は、あらかじめ作った汁を使うものが多く、
その場で味付けしたりすることはないが、
手際と、「釜前」との連携を要求される仕事だ。

大きなところでは、調理されたそばを揃えて、
「花番」に引き渡す「膳立て」、
茹でて、溜めざるに上がったそばを盛り付ける「盛り出し」、
出前を受け持つ「外番」などもあったそうだ。

●そばを打つ職人を「板前」と呼んだそうだ。
これが、かっては、一番偉い職制だったらしい。
昔は、そば打ちを専門にして、そば屋を移り歩く、
渡りの「板前」もいたという。

「包丁一本さらしに巻いて〜〜〜〜」
という歌があったけれど、
そば切り包丁じゃねえ。
さらしに卷けたのかな。

ところが、機械打ちが広まると、
状況が変わってしまった。
それほどの技術がなくとも、
そばが作れるようになってしまった。
そば打ちのことを「運転」と呼んだそば屋もあったとか。

でも、機械打ちだろうが、手打ちだろうが、
そばを打つためには、細心の注意と技術が必要。
「板前」を大切にしたそば屋もあったが、
たいていは「上下(うえした)」といって、
「釜前」がそばを作っるようになったそうだ。

●さて、調理場に入ったばかりの人は「まごつき」。
掃除から、使い走りから、なんでもこなす役割。
そういう厳しい修行を積んで、
厨房の中の仕事を覚えていくのだね。

あるそば屋では、
新入りのことを「お雛(ひな)」と呼んだ。
ところが江戸っ子は、「ひ」が発音できない。
だから「おしな」になってしまう。

さて、その「おしな」は、
先輩たちがひと休みして、お茶を飲んでいる時も、
そのお茶を飲ませて貰えなかった。
だから、そば湯を汲んで飲んだとか。

そうして、そのまま飲むそば湯のことを、
「おしな湯」といったとか。

●小さなそば屋ゆえ、
なんでもこなさなくてはならない私。
「板前」も「釜前」も、「中台」「膳立て」、
時には「花番」までやっている。
大勢の人たちが居たからこそ、
作られた、職制。
昔のそばの職人さんは、
そうやって磨かれていったのだ。

まだまだ、私なんかヒヨッコ。
「おしな湯」を飲んで、
一息つくとしよう。

そば屋の褒め方

●そば屋というのは、
なかなか、褒められることが少ない。
どちらかと言えば怒られることばかり。

「店が汚い」
「出てくるのが遅い。」
「そばが、期待するほどうまくなかった。」
「お釣りを間違えているぞ。」
「お前の顔が悪い。」

とまあ、いろいろなことで叱られている。

それでも、時々、
お客様にこんな言葉をいただいたりする。
「おいしかったよ」
これは、何よりもうれしい褒め言葉。

「路地裏で、人が少なくていいねえ。」
と褒められることもあるけれど、
これは、私の方で複雑な気分。
お客様には、たくさん来ていただいた方が、、、、。

昔の江戸っ子も、
そば屋を褒めるっていえば、
せいぜい、こんな言葉。
「あの店は、
 そばはうまいが、
 汁がいまいちだなぁ。」

えっ、これって褒めていないじゃないか?
と思われるかもしれないが、
シャイな江戸っ子にとっては、
精一杯の褒め言葉であったようだ。

●ところが、そんな江戸っ子が、
そば屋を、べた褒めする話がある。
ご存知、落語の「時そば」。

ある江戸っ子が、屋台で売り流しているそば屋に声をかける。
そうして、「しっぽく」を注文すると、
ことあるごとに、そのそば屋を褒めるのだ。

「看板が当たり矢じゃないか、
 こりゃあ、縁起がいい。」
「おっ、待たせずにすぐ出来るなんていいね。
 江戸っ子は気が短いのだから。」
「ちゃんと割り箸を使っているね、
 これはきれいでいい。」

そんな感じで、
ドンブリを褒め、
そばが、細くてコシがあると褒め、
具の竹輪が厚く切ってあると褒める。

そうして、そば屋の主人をおだてておいて、
十六文のそば代を払う時に、時間を聞いて、
一文ごまかすのだ。

それを横で見ていた、
一枚抜けている江戸っ子が、
同じことをやろうとして失敗するというお話。


●この「時そば」は、
寄席では前座さんがよくやる。
でも、経験豊富な師匠が話すと、
もっと楽しくなる。
先代の「小さん」師匠がやると、
近所のそば屋は、寄席帰りの客でいっぱいになったそうだ。

そうやって、褒められれば、
そば屋だって、一文ぐらい足りなくても、
気分はいいことだろうなあ。

●ある年配のお客様。
とても、食べ慣れているご様子で、
すすす、、、と、そばが口の中に吸い込まれていく。
そうして、帰り際に、
「おいしい汁だねえ。」と言っていかれた。
そう、私のような職人は、
そばも褒められればうれしいが、
苦労して作った汁の価値を、
解ってもらえれば、もっとうれしいのだ。

ある方によると、
食べ物屋によって、
お店を喜ばす褒め方が違うそうだ。

そば屋だったら汁を褒める。
天ぷら屋は衣を褒める。
うなぎ屋は焼き方を褒める。
寿司屋はシャリ、つまり米を褒めるのだそうだ。

どれも、あまり目立たないが、
職人さんの苦労しているところなのだ。

ある寿司屋さんに聞いたら、
そこでは、すし飯の温度に気を使っているそうだ。
寿司のネタは冷たくとも、シャリは、
人肌程度のぬくもりを感じさせるくらいがいいという。
もちろん、ネタのよさにも自信があるが、
やっぱり、米を褒められるとうれしいという。
そういうところまで、気のつく方がいらっしゃると、
普段の気遣いが報われるそうだ。

でもねえ、そうやって、
シャリを褒めてもらってうれしいのは、
寿司の食べ方をきちんと知っている方から、
声をかけられた時だという。
寿司の食べる順番や食べ方で、
寿司屋は、客のレベルが解るらしい。
そのレベルの高い方から褒められるのが、
一番うれしいそうだ。

店に入ってきたとたんに、
「大トロ」、「ウニ」、
と頼むようなヤボッ食いに褒められても、
ちっともうれしくないという。

そば屋だって、同じかもしれない。
おいしい食べ方をする方に、褒めていただくと、
「一文」ぐらいは、
まあ、だまされてもいいや、、、
という気になるのだ。

あくまでも「一文」(いちもん)。
だけ、、、ですが。


本家、本流、看板の取り合い

●ひと昔、いや、ふた昔前の頃には、
どこの温泉地にいっても、
「温泉まんじゅう」が売られていた。
たいてい、何軒かのまんじゅう屋があって、
競い合っている。

果たして、その店が温泉まんじゅうを、
最初に造り始めたのかどうかは知らないが、
ある店は「元祖温泉まんじゅう」という看板を掲げている。
それに対抗する店は「本家温泉まんじゅう」とうたっている。
さらに、それに対抗して「総本家」を名乗る店があったりして。

どちらも、
自分のところが
「本筋の作り方を伝承している店ですよ」
と強調しているのだろう。

まあ、
食べる方としては、
「元祖」だろうが、「本家」だろうが、
「総本家」だろうが、
おいしければ、どちらでもいい気がする。

●さて、そば屋の世界でも、
「本家」の使い方を巡って、
裁判にもなった店名がある。

東京は麻布に、
三軒の老舗のそば屋があるが、
どこも、200年の伝統をうたい、
創業者は「布屋太兵衛(ぬのやたへえ)」だという。

三軒の名は
「永坂更級布屋太兵衛」
「麻布永坂更級本店」
「総本家更級堀井」。
どこも、自分の店こそが、
布屋太兵衛のそばの流れを汲むものと、
「本店」「本家」「本流」を名乗っているのだ。

これってどういうことだろう。

●寛政元年(1789年)に、
信州特産の信濃布という布を商っていた太兵衛が、
麻布に「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」の看板を掲げた。
この時の「更科」は、
蕎麦の産地である信濃の「更級」の地名と、
そば屋の開業を勧めた領主の「保科」氏の名前から、
いただいたと言われている。

これを今も呼ばれる「更科そば」の起りという人も居るが、
じつは「さらしな」の名は、その前から使われていたようだ。

その布屋太兵衛の店は、色の白い御前蕎麦を看板商品として、
大いに流行ったらしい。
明治には「永坂更科」とよばれ、
独自の更科の製粉方法も生み出し、
何軒かの暖簾分けも行った。

ところが、昭和の初めの大恐慌、
加えて七代目当主の芸者遊びがだめ押しとなり、
昭和16年に廃業と相成った。
あらあら。

戦後になって、
布屋太兵衛の名を惜しんで、
相次いで、その名を使ったそば屋が開業し、
さらに、八代目となる子孫も本流を主張して麻布に店を開いた。
「永坂」と「布屋太兵衛」の名をめぐって、
商標権が争われたが、
最終的に今の形に落ち着いたようだ。

なるほどなるほど。
有名な名前だからこそ、
看板の取り合いになったわけだ。
そうして、三軒とも、
今でも老舗として、繁盛しているようだ。

●さて、昔はそば屋の系列に
「更科」「薮」「砂場」の三つがあると言われた。
それぞれにそばを作る流儀が微妙に違う。

でも「更科」では、明治になるまで暖簾分けをしなかったので、
その正式な系列店は、東京にある六軒ほどの店だけといわれている。
他にも「更科」を名乗る店があるが、
繁盛にあやかって使われているとの話。

暖簾分けという方法は、
今はやりのチェーン店のはしりでもある。
だけど昔は、その看板を分けてもらうには、
それ相応の、技術と資産と人格が必要とされ、
簡単には分けてもらえなかったのだね。

さて、「かんだた」も
「総本家」とつけないと間違えられる、、、
というぐらいの看板(ブランド)に、
なるのだろうか。


「ハッピーバースデー」を歌って手洗い

●さて、これは、人から聞いた話。

ある老舗のお菓子屋さんが、
お客さまに配るための、
パンフレットを作ったそうだ。
その、老舗の得意とするのは、
練りきりという生菓子。
きれいな形に仕上げるためには、
熟練と技が必要だ。

そこで、職人さんが、
手でそのお菓子を作っているところを、
きれいな写真に撮って、
パンフレットの表紙にした。

うん、いいパンフレットができた、
これなら、お客さまに喜んでいただき、
店のイメージアップになることだろう。
そうお菓子屋さんは考えた。
そうして、
その自慢のパンフレットを配りはじめたのだった。

ところが、暫くして、
こんな電話があった。
「パンフレットを見ると、
 おたくのお菓子は、素手で作られているんだね。
 ちょっと、食べる気がしなくなった。」

あれれ、ずいぶん神経質な方がいらっしゃるのだな、
と、お店の人は最初は思ったそうだ。
ところが、そういう電話が、
それからも、度々あったのだ。

練りきりの繊細な形は、
熟練した職人さんの、微妙な手の動きによって、作られる。
それは、素手でしかできない芸術品のようなものだ。
とても、手袋をした手や道具では作れない。

そういう手作りの大切さを伝えたかったから、
パンフレットに、手の写真をのせたのだ。

なのに、それを嫌がる人もいる。

お菓子屋さんは、ずいぶん悩んだ末、
そのパンフレットを配るのをやめたそうだ。

●弁当工場や給食施設、食品工場などでは、
マスクをし、頭巾をかぶり、
ビニールの手袋をして作業しているところが、
写真などで紹介されたりしている。

そう、そういう場所では、
衛生に細心の注意を払っている。
だから、殺菌された手袋を使うのだね。

そういうのを見ているから、
手袋をしていた方が衛生的で、
素手で食品を扱うのは、
不衛生だと考える人もいるのだろう。

でも、その手袋って、
どうやって身につけるのだろうか。
やっぱり、一度は素手で触らないと、
着けられないよね。
手袋をした、ほかの人にはめてもらえばいいけれど、
今度は、その人は、どうやって、、、、
なんて、考え出すと、
眠れなくなってしまう。

●飲食店なんぞ、
食品を素手で扱わなければならないところは、
たくさんある。

例えば寿司屋。
手袋をした手でシャリを握り、
「へい、大とろお待ち!」
なんて出されたら、どんな気分だろうか。
(お客さまの話では、
 実際にそういう店があるらしい。)

そば屋だってそうだ。
手袋をして、そばを打つことはできないし、
茹でたり、洗ったり、
それを盛ったりするのは、どうしても素手になる。

何しろ、お客さまが口にするものを、
素手で触るのだから、
そば屋というのは、よっぽどの覚悟が必要だ、、、
なんて、いまさら。

●実は、「そばを手で捏ねてはいけない」、
という時代があった。
戦後のしばらくの間、
食べ物を素手でこねて作るなどとはけしからん、
と、お役人が言い出して、
製麺機の設備のない店には営業許可が降りなかった。
当時の衛生状態を考えると、
それも仕方がなかったのかもしれない。

今でも、飲食店では、
手洗いの設備や方法について、
うるさく指導される。
いわく、30秒以上流水にさらしながら、
手を洗うようにとのこと。

この30秒という時間は結構長い。
普通の人が手を洗えば、
せいぜい、5秒程度。
ある人の話では、
30秒というのは、
「ハッピーバースデー」の歌を、
二回歌うぐらいなのだそうだ。

●うどんなどでは、
ゆでた後に、シャワー洗浄し、
箸などを使って盛ることができる。

でも、細く切れやすいそばはそうもいかない。
少しづつ、つまんで盛り込まないと、
水も切れないし、そばが絡んで食べにくくなってしまう。
箸を使っていたら、
お客さまの席に着く頃には、
すっかり延びてしまうだろうなあ。

しかしながら、
お客さまの厳しい目。
やがて、手袋をしてそばを盛る日が、
やってくるのかもしれない。

そんな日が来ないように、
しっかりと、手を洗おう。
ハッピーバースデー、ツーユー〜〜〜〜。


耳の痛いそば屋の「いろはかるた」


●ある「いろはかるた」の文句から、

ーい  勢いをつけよお客の迎え声
ーろ  緑青(ろくしょう)に気付け銅鍋、銅しゃもじ
ーは  繁盛の木に油断の虫が喰い。

そっ、そんなこと言われたって!
あのぉ「緑青(ろくしょう)」ってなあに?

これはいったい、
何の「いろはかるた」なのだろうか。

ものの本によると、
何でもそば屋を営んでいた、長野の岡本さんが、
昭和8年に作った「かるた」なのだそうだ。
そば屋の宣伝として、
刷り物にして広く配布したという。

昭和8年といえば、
先頃亡くなった、三遊亭円楽の生まれた年。
ドイツでは、ヒトラーが政権を取り、
日本は国際連盟を脱退した年。

今から、七十年以上前に作られた、
そば屋のかるた。
これがねえ、今でも耳に痛い、、、
のだ。


●その当時といえども、
やはり、店の衛生、清潔が大切。
常に、整頓と、道具の整備を怠らないこと。

ーち  散らかった、店にお客は寄り付かず
ーれ  料理場にさびた包丁、赤い恥

なるほどねえ、最近はさびない包丁もあるけれど、
やっぱり、手入れは必要。
最初の「緑青」は、銅製品に出来る青緑色の錆。
昔は、鍋やおろし金、ひしゃくなどに、
銅がよく使われた。
手入れをしないで、水に濡れたままにしておくと、
すぐに、青い色が浮いて来て、
さぼっているのがわかってしまう。


●そば屋というのも商売。
お金に対する考え方も大切。

ーし  仕入れものすべて現金、借りぬよう

うう〜ん、これは大事なことだ。
そば屋は日銭商売。
下手に、つけを溜めてしまうと後が大変。

ーり  流行は着物にきずに店にかけ

たとえ儲かったとしても、
贅沢をしてはいけない、という戒め。

ーひ  控えめに費(つか)わぬ財布足を出し

商売が大きくなってくると、
つい、気も大きくなって散財しがち。
ぐっと引き締めなければ。


●さて、そばの味も大切。

ーほ  ほめられて気をゆるめるな塩加減

そう、ほめられたからって、
いい気になってはいけない。

ーて  ていねいは下手も上手の仕事をし

まずは一つ一つ、
丁寧な仕事をすることが、
お客様に喜ばれる秘訣なんだねえ。

ーみ  磨け腕、自慢は道の逆戻り

商売に慣れてくると、自分のやり方に、
いや、自分のやり易いやり方に傾いていきがち。
腕自慢に満足しては、時代に取り残されてしまう。

ーの  のびたそば売る店だんだん縮こまり

そりゃあ、そうだろうねえ。

ーね  値で売るな味と仕事と品で売れ

ほらほら、耳に痛い。
クーポン券や値引きで人を集めたって一時的なもの。
やはり、そばの味で評判にならなければ。
それに「品」とあるところが、ちょっと憎い。


●商売は、昔も今も、
お客様に喜ばれてこそ、
成り立っていくもの。

ーに  ニコニコの店に閑(ひま)なし客の山

ぶっきらぼうの店よりも、
笑顔でそばを出された方が、
気分がいいもの。
これがねえ、わかっていても、
続けられない店が多いのだ。

ーゆ  有名になるほど店の腰低く

うちは有名じゃないから、
腰が高くてもいい、、、、わけがない。

ーお  おいしさも、まずさも一つは店気分

料理の味の感じ方も、
店の雰囲気や接客によって左右される。
目のつかぬところにも気を使い、
お客様をもてなす気持ちを店が持たなければ、
どんなにおいしいそばを出したところで、
おいしく感じなくなってしまう。


●この昭和の初めの頃の、
そば屋の作った「かるた」を読んでみると、
今も昔も変わらない、商売の姿が見えてくる。
当時の商売も、厳しいものがあったのだろう。

ここに書かれたことは、
今でも充分に通じること。
そば屋という生業を続けていくには、
常に、こうして自らを戒め、
注意を呼び起こしていかなければ。

特に、こんな言葉はね。

ーゐ  居眠りは不体裁ぞや店の番

居眠りをしたいほど閑なときも、
時々あるもので、、、。