●江戸時代は終わり頃、下町の一角に、
居を構えている大工の棟梁。
たくさんの若い衆を抱え、
あっちのお店、こっちの現場へと忙しい。
ところが、その若い衆の中でも、
一番の働きをしていた熊五郎が、
俄に床についてしまった。
棟梁は心配して、他の者に尋ねる。
「おい、猫八、熊五郎の具合はどうなんだ。」
「へい、それが、なんでも、脚に力が入らなくて、
起き上がることが出来ねえっていうんですよ。」
棟梁は若い衆の顔を見回しながら、
しみじみと言う。
「俺はなあ、若いときに食べるものに苦労をしたから、
せめて、お前たちには、
白い飯をたっぷりと食わせてやりたいと思っている。
それが、一番飯を食っていた熊五郎がこのざまだ。
それにひきかえ、猫八、お前らは飯もろくに食わずに、
そばばっかり食べにいっているだろう。」
頭を掻きながら答える猫八。
「へい、ご存知でしたか。
そりゃあ、白い飯もおいしいんですが、
なにしろ、あっしは、大のそば好きだもんで。」
さて、起き上がれなくなった熊五郎、
医者の見立てでは「江戸患い(わずらい)」というものらしい。
なんでも、江戸を離れると、回復することがあるという。
そこで棟梁は、百姓をしている田舎の親類に、
熊五郎を預かってもらうことにした。
大八車に乗せられ、猫八たちに引っ張られて、
熊五郎は江戸を去ったのだった。
さてさて、一年もたった頃、
元気になった熊五郎がかえってきた。
「いやあ、田舎はひどいよ。
何しろ食べるものといえば、麦や豆ばかりなんだ。
また、ここで、白い飯を食べて、
ばりばりと働くぞ。」
棟梁も、猫八も、ほかの若い衆も、
熊五郎が元のように元気になったので、
大いに喜んだのだ。
が、しかし、、、、。
●私の若い頃には、小学校の身体検査の時、
ゴム製のハンマーで、膝の頭を叩かれた。
そう、ある程度御年配の方なら、
ご存知だろう。
えっ、何のことかって。
ハンマーで叩いて、脚がピクッと反応すればOK。
反応がないと、脚気(かっけ)の疑いがあるとされた。
脚気は、ご存知のようにビタミンB1の欠乏症。
いわば、栄養失調なのだが、戦前までは、
結核と並ぶ国民病で、亡くなる人も多かった。
これは、白米ばかりを食べることによって、
玄米で補われていたビタミンが摂られなくなったため。
江戸時代の中頃までは、
殿様や武士たちのかかる病気だったが、
白米食が庶民の間でも行われるようになって、
底辺が広がった。
特に、江戸の住民の間ではやったので、
「江戸患い」と呼ばれたのだ。
大工の熊五郎も、
白米ばかりを食べていたために、
「脚気」にかかったのだね。
●この「脚気」による被害が大きかったのが、
明治時代の陸軍だった。
日清、日露の両戦争で、
「脚気」に倒れた兵士の数の多いこと。
これは、強い体を作るため、という目的で、
白米中心の食事を、陸軍が進めたため。
日露戦争での戦死者は4万7千人。
ところが、約25万人が脚気を患い、
亡くなったのは2万8千人。
一方の海軍では、麦飯を導入したため、
ほとんど脚気患者を出さなかったといわれている。
当時はまだ、細菌によって脚気が起こると、
信じられていたのだねえ。
明治の終わり頃にビタミンが発見されて、
脚気は、ビタミンB1の欠乏症だということがわかっても、
その撲滅までには、長い時間がかかったのだねえ。
そお、私の子供時代までね。
●脚気を予防するには、ビタミンB1を含む食品を食べるといい。
多く含まれるのは、玄米、豚肉、うなぎ、大豆、ごま、ピーナッツなど。
それに、麦やそばにも含まれている。
すでに、江戸時代には、脚気患者にそばを食べさせると、
回復するということを、漢方医たちは知っていた。
でも、明治維新で、西洋に目を向けてしまった政府は、
それまでの漢方を、すべて否定してしまったのだね。
さて、棟梁のところで働いていた熊五郎。
白いご飯ばかり、おいしい、おいしいと言って食べていたから、
脚気になってしまった。
それが、田舎へ行って、
豆や麦などのビタミンB1を含む食べ物を食べたから、
元気になって、帰ってきた。
でも、また、白いご飯ばかり食べていて、
大丈夫なのだろうか?
いいえ、
同僚の猫八が、熊五郎をそば屋に誘ったら、
この熊五郎、すっかりそば好きになってしまった。
そうして、棟梁の元で、ずっと元気に働いたのだった。
江戸時代に広まった「そば」。
そのおかげで「脚気」にかからずに済んだ人たちが、
結構いたのではないだろうか。
そのように、私は勝手に想像している。
えっ、脚気って、昔の病気かと思っていたら、
今の人でも、かかる人がいるって?
コンビニのおにぎりや、お菓子だけを食べていたり、
お酒ばかり飲んでいるあなた、危ない危ない。
そばをズズッと手繰って、
元気に過ごそう。