私が十八歳の時に東京で借りたアパートは、四畳半一間でした。
荷物と言えば、布団と小さな本箱だけで、裸電球に照らし出されたその四畳半が、ずいぶん広く感じたものでした。その部屋に、小さな流しとガスコンロが備え付けられていました。さて、外食をするほどのお金がなかった私は、ここでなんとか食事を作らなければいけません。今のようなコンビニが、まだなかった時代の話です。
かといって、それまで居た学生寮の夜食のように、インスタントラーメンをつくってそれだけで済ませるのは、身体に良くないと分かっていました。でも、そのときの私は、料理を良く知りません。おまけに、道具がないのです。
中学校のキャンプの時に買った飯ごう、フォークとスプーンが付いた折りたたみナイフ、アルマイト製の食器、そうして、インスタントラーメン用の小鍋と、取っ手付きのカップが一つあるだけです。でも、とにかく、飯ごうで米を炊いてみることにしたのです。
キャンプの時の、黒こげのご飯を思い出しながら、米を洗い、適当に水を入れ、ガスコンロの火をつけます。噴いて来たら火を細め、適当なところで火を止め、飯ごうをひっくり返して少し置きます。そうして、炊きあがったご飯は、芯の残った固いものでした。でも、食べ盛りの胃袋には炊きたてのご飯は、何よりのごちそうでした。
その後何回もやっているうちに、ガスコンロを使って、飯ごうで米を炊く「達人」になりました。
飯ごうでお米を炊くには、軍手とスパナが必需品。軍手は、炊きあがった飯ごうを、ひっくり返すために、そうしてスパナは?スパナは、音を診るためです。火にかかっている飯ごうをスパナで叩きます。鈍い音がするうちはまだでやがて、乾いた音に変わった時に、火を止め、飯ごうをひっくり返します。
こうすれば、焦げたところの少ないご飯が、きちんと炊きあがります。
煮干しでだしをとったみそ汁と、このご飯があれば、なによりのごちそうでした。訪ねて来た友人があきれていましたが、炊飯器を使うよりは、ずっとおいしかった気がします。思えば、この飯ごうというのも、よく工夫されて出来ているものなのですね。
さて、それから何年かたって、長野の農家の納屋の二階で、ひと月ほど過ごしたことがあります。
スキーをやっていた私は、友人と共同で、その納屋を荷物置き場や休憩所に使っていたのです。スキーのシーズン前で、お金を使いたくありません。その納屋には、たくさんのキャベツが転がっていて、売り物にならないから、好きに使っていいとのこと。
貧乏な私に、そのキャベツを使わない手はありません。
刻んだり、炒めたり、煮たりと、本当にキャベツばかり で過ごしました。やがて、キャベツの芯の部分から、おいしいだしが出ることに気付きました。
刻んだキャベツを芯も入れて良く煮込み、塩だけで調味します。そこに卵を溶き入れれば、それだけで、十分なごちそうでした。野菜というものが、それ自体おいしさを持っているものだと、気付いたのでした。
さて、おいしいものが溢れる今の時代。お金を出せば何でも食べられ、魅力的な調味料も使われ、道具も便利になりました。でも、心の中の、本当においしい思い出は、案外、身近な、素朴なものの中にあるのかもしれません。
そんな思いで、飾り気のないそばを、作り続けていきたいと思っています。
かんだた店主 中村和三